笑い飯「もう勝負事はいい」の境地から目指すこと 肉体も感性も老いを感じる現実と向き合って

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西田:出場資格のあるラストイヤーだった2010年に優勝できましたけど、逆に言うと、そこまで優勝できなかったということですからね。決勝に行ったけど勝てなかった。それを8回経験しました。

優勝できてないので、その8回はどの回も達成感はないんですけど、その中でもイヤだったのは「これや!」と思って準備していたネタが決勝で思うようににウケなかった時。これはね、本当にイヤでした。

これが厄介なのは、このイヤさは「M-1」の舞台でしか上書きできないんです。となると、最短で巻き返しの場が来るのは1年後。とてつもなく長い間、モヤモヤした気持ちにさいなまれることになる。気持ちとしては明日やりたいくらいですけど、そうはいきませんから。

しかも、1年後、また戻って来られるかもわからない。戻ってくるためには、ベストと思って作ったその年のネタを、翌年のネタが大幅に超えるしかない。毎年ライバルコンビが出てきますが、何より、過去の自分たちに勝つしかありません。

哲夫:前年と同じでは実質的に「負け」ですしね。

「M-1」挑戦中の日々を振り返り、「ライバルは去年の自分だった」と語る「笑い飯」の2人(筆者撮影)

西田:何回も出ていると「また、こいつら出てるんや」になります。そうなると、自ずと次に出てくる感情が「もう、エエんちゃうの……」なんです。

飽きられることなく「もう、エエんちゃうの……」をかき消す。それには去年の自分らに圧倒的に勝つしかない。「M-1」に出ていた10年は決して止まることが許されないその日々を生きている感覚でした。

哲夫:もちろん、僕らだけの力のわけはないですし、いろいろな方々の力がうねりになった結果ですけど、「M-1」が始まって、大きな大会になる中で、「M-1」以前よりも、しっかりとネタを見てらえるようになった。これは間違いなくあると思います。

「M-1」という場があることで、ネタを真正面から見てもらいやすい環境ができあがっていった。芸人が見せたいネタを見せたいままできる場が増えた。これは「M-1」がもたらした良い流れだと思っています。

ウケるネタ、求められるネタよりもやりたいネタができる。実は、これは大きな変化だとも思うんですけどね。

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