2015年、それはさらに明確になった。
スタートアップ企業への投資家は、かつてないほど膨れ上がり―それと同時に、創業者の「評価」は高止まりとなるなど、前代未聞の事態が起こり始めた。
もちろん例外はあったけれど、どう見ても飽和状態に達していた。仮に僕が横手のドアからひょいと出ていったとしても、スタートアップ集団には、痛くもかゆくもなかっただろう。
取り替えのきくパーツでいることにはうんざりだ
もちろん今だって、僕は決して世界一の書き手じゃない。そんな幻想は間違っても抱いていない。
ジョン・マクフィー(ピューリッツァー賞受賞作家)や、マイケル・ルイス(ノンフィクション作家・金融ジャーナリスト)みたいな人たちの才能を目の当たりにすると、枕に顔をうずめて泣きたくなる。
だけど……もし書くことをやめてしまえば、もしかするとものすごいチャンスを無駄にしてしまうかもしれない。
大きな運を味方につけて、何かを生み出すというチャンスを。
多くの人に、永遠に続くインパクトを与えるというチャンスを。
この、いてもたってもいられない気持ちは、決定を下す2カ月前、何人かの近しい友人が事故で亡くなったとき、誰も会いに来てくれなかったことで、何百倍にも膨れ上がった。
人生は短い。
言い方を変えよう。長生きできる保証なんてどこにもない。ほぼすべての人が、心の準備をする前に亡くなっている。
取り替えのきくパーツでいることには、うんざりだった。たとえどんなにもうかるゲームに参戦してるとしても。
仮に、書くと決めた後で失敗に終わったとしても、やってみなければ、きっと自分をののしることになるだろう。
自分にしかない特別な才能を無駄遣いしていないだろうか?
そもそもそれを探すチャンスを見逃していないか?
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