スシロー、賠償請求も「非常識少年」また出る必然 炎上の専門家「想像力のない人にSNS時代は酷」
時系列順ではない「おすすめ表示」がSNSの主流になるなか、SNSごとに異なるはずの「雰囲気」に気付かないまま、「内輪ノリ」「内輪の善悪」だけで投稿、第三者によって他SNSに転載され、そこで盛大に燃えてしまう……。ここ最近の「炎上事案」は、3要素のかけ算で広がっている例が多いように思われる。
思えば、「下着ユニバ」騒動は、その典型だった。昨年(2022年)10月、「コスプレ」と称した露出度の高い服装で、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)へ入園し、写真撮影した女性たちが「公共の場にふさわしくない」などと炎上した事案だ。
写真は当初、インスタグラムに投稿されたが、ツイッターへ転載されて、火に油を注ぐことになった。起きた場所こそ違うが、その火種を生んだ背景は、スシロー事案と通底しているのだ。
過去の事案を知っていても「血肉になっていない」可能性
とはいえ、「寿司テロ」が話題になった当初は、「過去のバカッター事案を知らなかったのでは」との反応も多く、筆者もその立場から論評していた。非常識な言動で炎上してしまった人が過去にいることを知っていれば、例えばおでんを「ツンツン」つついた男性の事案を知っていれば、しょうゆ差しをなめた動画をネットにアップしたりしないはず……そう思っていたのだ。
しかし、時が経つほどに、たとえ事案を知っていても、それだけでは変わらないのではないか、と考えるようになってきている。知識として学んでいても、そもそも「なぜダメなのか」が血肉にならなければ、別の迷惑行為で炎上してしまう可能性があるからだ。
「冷蔵庫に入ってはダメ」「食洗機で身体は洗えない」と親や教師に教わっていたとしても、「しょうゆ差しをなめてはいけない」や「ユニバに行く時は服装に気をつける」とは教わっていないので、行動に移してしまう……。
「1億総ネット時代」では、サービスやコミュニティを越えて、違う文化や価値観の人と繋がってしまう。善悪の判断がつかない、世界がまだ狭くて想像力に乏しい状態で飛び込むのは、そもそもハードルが高すぎるのだ。
批判や責任という話で言えば、むしろ筆者は、私のようなメディア関係者にも、責任の一端があるのだろうと感じる。インパクトのある画像や映像を紹介することで、(そういう意図はないものの)コンテンツとしての消費を促してしまった可能性があるからだ。
青少年がやらかせば「最近の若い者は〜」、年配者がやらかせば「老害が〜」となるのは世の常だが、新たな技術の前では、同じスタートラインに立っている。なるべくジェネレーションギャップに持ち込まず、ともに力を合わせて、ネット時代の「情報との向き合い方」を模索する必要がある。
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