「昔、店を始めた頃は、ええ人間なんか来てくれんわけや。けど結果的には、世間からも同業者の人たちからも、松下さんとこはええ人がいますなあと言うようになってくれた。社員が努力したことが大きいけど、まあ、そういう環境を作る。絶対に、社員を、育てようという強い心持ちを指導者が持っておることが大事やな。きみ、そういう心持ちで経営をやってくれや」。
「わかりました」と答える私の顔を見ながら、次のような話を付け加えた。「まあ、わしの経営は、ワンマン経営や、と言う人もいるわね。けどワンマンはワンマンでも、衆知を集めた上でのワンマンということやな。会社の発展の対策を次々に出してな、今日までやってきたけど、それはわし個人の意見であったかというと、そうではないわけや」。
上を見ないといけないが、それ以上に部下を見よ
「そうではなく、日頃から部下の話を聞くとかね。誰に対しても声を掛けるとかね。そういうように、社員がわしに話をしやすいようにしむけながら、多くの意見や心持ちを汲んで、いわば、衆知を集めてのわしの決断やから、社員の心を心として、経営をやってきたわけや。
ワンマンと言っても、わしのワンマンは、ほかのワンマンとは違う。普段から、社員の話を聞いておるからな。事を一瀉千里(いっしゃせんり)に進めても、社員の意思というか心に反することはなかったな」。
この話を聞きながら、以前、聞いた話を思い出していた。
昭和54(1979)年の春頃だったと記憶している。この日は、かなりご機嫌がよく、あれやこれやの雑談に花が咲く。
「こないだ、ある人(関西財界のA氏)が話してくれたけどね。昔な、中国のある王さん(王様)がいたそうや。その王さんが、家来に対してもうやりたい放題気分次第で家来に指示を出す。気にくわんと言って、殺す。そういう王さんやった。
あるとき、風呂を沸かしていた。まあ、風呂を焚くのは下の身分やわな。その風呂に王さんが入ろうとしたら、お湯が熱かった。するとな、その王さんが激怒して、打首や。まあ、いわば暴君やな。
ところが、その上の皇帝には、その王さんはもう、こんなことまでと思うほど、気を使う。過ぎるぐらいに接する。皇帝の言うことは、どんなことでも「仰せごもっとも」というだけや。皇帝の言うことは、いわば、神様の言うことというまあ、そんな具合やったそうや。
当然まあ部下は、内心面白くないわな。少しは俺たちのことを気にしてくれよと。そいで、部下の者同士が相謀って、王さんを暗殺してしまった。そういう話をしてね。部下に対して、十分な配慮が必要ですな、と言っておったけどね。けど、それは、当たり前や。指導者は上を見んといかんけど、それ以上に部下を見んといかんのや。そういうことが指導者とか経営者には必要やな」
いつも私は、こういうふうに、松下幸之助から雑談で部下との接し方、経営の仕方、指導者や経営者のあり方を教えられたものである。「雑談による教育」を、松下に習い、私も大事にした。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら