Uさんは子どものころから、疲れたと体が合図を送ってきても、そんなものは無視するよう、母親から言われてきた。全力でがんばらないと母親から体罰を与えられた。その結果、自分のペースで行動することができず、体の限界にも鈍感になってしまった。
母親に「認めてもらい、愛してもらいたい」との願いから、価値のある存在になるには死に物狂いでがんばるしかない。がんばりさえすれば、いつも不満そうな顔の厳しい母親もいつか認めてくれる。「努力は美徳」「あきらめるな」「いつでも全力を尽くせ」といった世間の声も拍車をかけた。
Uさんのようにがんばりすぎる人にとって、こうした言葉は心をむしばむ。壊れるまで全力を尽くすことなど、人間にはどだい無理な話なのである。
幸いUさんは、自分の価値観を改め、自身の欲求にきちんと目を向けられるようになった。
よく知られていることだが、感受性が豊かで内省的なタイプは自分を大切にしないことが多い。状況をよくして、万事順調に運ぶようにするのは自分の責任だと思いこむあまり、自身の健康をかえりみなかったり、必要な休息さえなおざりにしたりする。
行き詰まりの感覚を覚え、うつや不安症、慢性的な緊張、不眠といったつらい症状が現れるのはいずれも、現実を書き換えようとやってきたことがもはや持続できなくなったことを示すものだ。「真の自己」に背くとき現れる心身の症状は、警告システムであり、心身ともに本当の自分に戻らなければならないと告げている。
つらい現実は人間関係を変えるチャンス
研究によれば、その人の身に何が起こったかよりも、それをどう処理するかのほうが大事だという。
ポーランドの精神科医カジミェシュ・ドンブロフスキも、「精神的な苦痛は成長の証であり、必ずしも病気ではない」という理論を立てている。
人間関係がうまくいかないときは、目を覚ますチャンスだ。人は大人になり、大切な人間関係を前にしても、子どものころに経験したつらいパターンをくり返しがちだ。子どものころ心に受けた傷を乗り越えることが、過去のくり返しから覚醒するもっとも効果的な方法だ。
ここで言う「乗り越える」とは、つらい現実ときちんと向き合っていく精神的、感情的な過程だ。そのままでは大きすぎて飲みこめない感情を細かく噛み砕いていく過程と思ってもらいたい。しっかりと噛み砕いて、自分の歴史の一部として消化できるようにしよう。
内省の過程では何が起こるかわからず、不安や罪悪感を覚えたり、落ちこんだりすることもあるかもしれないが、最終的にはより強く、適応力もある人格を手にすることができるだろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら