中学受験、週2だけ通塾の「省エネ」選んだ人の結末 勉強は1日2時間、受験校も1校のみという選択

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祐里子さんは地方都市出身ながら、中学受験をした経験を持つ。また、凪さんの祖母にあたる祐里子さんの母親も、中学受験の経験者。

祖母はカトリックの名門、白百合系列の学校に中学で入学し大学まで卒業している。娘の祐里子さんにも自身と同じように一貫校での学びを望んでいた。

「私の家では中学受験をしないという選択はなくて、当然するでしょという雰囲気でした。」(祐里子さん)

小学3年生までは公文式に通って算数と国語を勉強した。4年生に上がる頃に中学受験のための進学塾に入塾、ひたすら勉強の日々だった。

母親が体験した〝ガチ受験〟への疑問

その様子は今の〝ガチ受験〟組とほぼ変わらない。学校から帰ればすぐに勉強、高学年になるとほぼ毎日塾に通った。季節講習はもちろんフルで受講、長期休暇中は1日8時間から9時間は勉強するよう指導を受けた。

当時、祐里子さんは同級生と遊んだ記憶が全くない。だが、それが普通だと思い通っていたため、さほど苦にならず、成績も良好だった。

志望校に決めたのは偏差値50台後半の地元では有名な女子中高一貫校。模試での判定もつねに合格ラインをキープ、塾の担当講師からも「安心して受験してください。このレベルなら間違いなく合格できる!」と太鼓判を押されての受験だった。ところがだ。結果は不合格。結局、念のためにと受験した10近く偏差値の下の学校に入学することになった。

「なんでこんな子たちと一緒に勉強しなくちゃいけないのか……」

口にこそ出さなかったものの、受験競争の中で育った祐里子さんの心の中にはそんな思いが充満していた。

だが、公立中に進み、高校受験をするという選択肢は浮かばなかった。祐里子さんが育った学区はビルの建ち並ぶ都会のど真ん中。子どもの数が少なく、小学校は2クラスしかなかった。しかし、中学は近隣のいくつかの小学校から生徒が集まるため、いきなり5クラスに増える。おまけに市内の公立中の中では成績の良い子が集まると言われる中学だった。祐里子さんは、大人数の中での競争に勝ち抜く自信が持てなかった。

合格した学校は1クラス30人の3クラス。高校受験もなく、人数もほどよい感じがしたのだという。しかし、学年が上がるにつれて、学校の小さな世界だけでなく、広い世界を見てみたいという気持ちが膨らみ、高校生の時に姉妹提携校のあるニュージーランドに留学した。帰国後、周りが大学へと進学する中、専門学校への道を選んだ。

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