つまり、預金を受け入れていれば、理由はどうであれ、いつ取り付けが起きてもおかしくない。こうした不動の事実、および「金利と金融商品の価格は逆相関する」という動かしがたい理論的事実から、今回の銀行危機や破綻は必然なのだ。誰のせいでもないし、避けようもない。
これは、第2のヤバい事件、すなわち「FEDの政策決定を都合よく解釈」につながる。
パウエル議長が行った、3日のFOMC(公開市場委員会)開催後の記者会見は、本当に自然ですばらしかった。力みがなく、率直でよい議論ができた。一方、記者の側も、非常に本質的な質問を投げかけ、揚げ足を取るものはなく、「これからの金融政策、金融市場、経済に関する基本がどうなっていくか」ということに関するものだった。
「利上げはいったん打ち止めへ、今後は中立的な金融政策をとる」といったメッセージを明確にしたことは、パウエル議長の肩の荷を一時的にせよ、下ろすことになった。その結果、むしろ率直さが誠実な議論、意図の開示となった。
記者の「後悔していることはあるか」という質問に対し、パウエル議長は率直にSVBなどの監督に関してミスを認めた。パウエル議長と記者の変な腹の探り合いがなくなり、すばらしい記者会見だった。
強欲な投資家だけが、だだをこねている
だが、そう思って、「識者の反応」という見出しのあったメディアのニュース記事を読むと、株式市場・債券市場関係者の「愚痴」「不満」「攻撃」が満載だった。
「これでは不十分だ。リセッション(景気後退)になってしまう。もっと利下げ方針を積極的に打ち出すべきだ。今回の銀行破綻は明らかにFEDの責任だ。監督のミスを認めたのなら、責任を取れ」といった具合だ。
そして、彼らは願望を予想とすりかえることも忘れない。「銀行危機があるから、今後パウエルは口ではああいっていても、結局もっと早く利下げに動かざるを得なくなるだろう……」。
記者会見でもわかるように、投資では素人に近いメディアのほうが、断然、金融を、経済を、社会の常識を理解している。
これに対して、投資家たちだけがリスクと事実に目をつぶり、ダダをこねているのだ。FEDの監督責任やSVBの経営の稚拙さを非難しているのは「銀行破綻が複数起きているが、あくまで例外的な個別の問題であって、金融市場全体は問題ない、だから相場全体は大丈夫」という、自らの願望を正当化するために、FEDをスケープゴート(贖罪のヤギ、身代わり)にして「監督責任」と騒いでいるのだ。
唖然とするしかない。
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