有名観光地ばかり旅行する人が見落とす重要視点 「違った街」で「いつものこと」をする効用

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夏の小網代の森。ボードウォークを歩くと小さい山(丘)の上から河口までを1時間くらいで下ることになる(写真:『ひとりあそびの教科書』より)
休みの日、家にはいたくないけれど、誰かと遊びたいわけでもない。そんな時は、「小さなひとり旅」に出かけてはどうだろうか。
行き先は、かかるお金も電車代やバス代の数百円ですむような場所。そういう身近な街に何度か足を運んでいると、その街が、自分の住んでいる街とは違う仕組みや事情があってつくられていることも見えてきて、少しずつ、まるで本を読むように街が「読める」ようになってくる。
人生観や世の中の見え方が変わる瞬間は、自分の今いるところから、ほんの少し離れた場所に、普段暮らしている場所と違う世界が広がっていることに気づくところから始まる、と評論家の宇野常寛氏は言う。小さな旅でコツをつかんで、「知らない場所」から何かを持ち帰るための技をみがく。新著『ひとりあそびの教科書』から一部抜粋・再編集して紹介する。

「近くて遠い場所」に出かける

僕は小学生のころ、長崎県の大村という街に住んでいた。海と山との距離が近く自然は豊かで、僕もフグを釣りに行ったり、カブトムシを採りに出かけたりしていたけれど、逆に、人間がつくったものはあまり充実していなかった。

僕の好きな図書館もあまり大きくなかったし、当時はインターネットもなかったので、大村駅前のアーケードにある商店街で売っていないものは基本的に手に入らなかった。

ところが、鉄道で2駅離れたところにある諫早は大村よりひとまわり大きな街で、図書館も駅前の本屋も模型店も大村よりもひとまわり大きくて、大村では手に入らないものが手に入った。

いまとなっては、インターネットの通信販売でたいていのものは手に入るから、若い人にはよくわからない感覚かもしれないけれど、あの頃の世の中では、ある場所で手に入らないものが他の場所では手に入るということがものすごく価値のあることだった。そしてそのために移動することを誰も面倒だとは考えていなくて、むしろ最高に楽しいことだったのだ。

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