40年の歴史「タモリ倶楽部」終了が意味するもの オタク文化に繋がる趣味の教養化と知的笑い
改めて説明するまでもないが、「空耳」とは外国語の曲が思いがけない日本語に聞き取れること。発見した視聴者が投稿し、その内容に合わせた映像を番組スタッフが制作して曲とともに流す。音と映像の相乗効果で笑いが増幅する仕組みである。
例えば、クイーンのしっとりとした曲『My Melancholy Blues』冒頭の一節「Another Party's Over And I'm Left Cold Sober」が、なぜか「花のパリ側~ なめこそば〜」と聞こえる。それに乗せて画面では、パリのオープンカフェ風の店で物思いにふける女性の座るテーブル上に置かれたなめこそばの丼がアップになる。原曲のイメージと日本語のギャップ、それを表現するシュールな映像が相まって思わず笑いを誘われる。
また、プリンスでも見事な「空耳」が生まれた。『Batdance』の「Don't Stop Dancin'」という歌詞が、どういうわけか「農協牛乳」とシャウトしているように聞こえる。画面には、おなじみの農協牛乳の1リットルパックがスモークの焚かれたなか、重々しくせり上がってくる映像が流れ、その大仰さに爆笑してしまう。
そこには、でたらめ外国語やハナモゲラ語の面白さと同じ構造がある。ともに、元々の言葉の意味を解体すると同時に、それらしく聞こえる別の音を立ち上がらせる。いわば異化作用であり、ナンセンスとパロディを合体させたものだ。しかも「空耳」の場合は、視聴者と番組スタッフとの連係プレーによってタモリの個人芸とは違う味わいが加わっている。映像メディアとしてのテレビにおける知的笑いのお手本のようなコーナーと言ってもいいだろう。
深夜番組のスタンダードになった
「タモリ倶楽部」については、「マニアック」と形容されることが多い。だがここまで述べてきたように、その中身は一様ではない。少なくともそこには「趣味の教養化」と「知的笑い」という二つの方向性があった。では、それらは深夜番組やバラエティ番組の歴史にどのような影響をもたらしたのだろうか?
テレビバラエティ史において、1980年代は特筆すべき時代にあたる。それはひと言でいえば、“壊す笑い”が“構築する笑い”に代わって優位になった時代だった。
前者の代表であるフジテレビ「オレたちひょうきん族」と、後者の代表であるTBS「8時だョ!全員集合」が同じ放送時間帯で熾烈な「土8戦争」を繰り広げたのは、そんな時代の象徴だ。そして「タモリ倶楽部」が始まった1982年10月に、「ひょうきん族」が「全員集合」を初めて視聴率で上回るという歴史的な出来事が起こる。“壊す笑い”の時代の本格的始まりである。
深夜帯は、そうした新しいバラエティの最前線となった。1983年に始まったフジテレビ土曜深夜の「オールナイトフジ」はその一つだ。素人の女子大生をMCやリポーターに起用し、果ては歌手デビューまでさせたこの番組は、女子大生ブームを巻き起こしたことで知られる。そこに若き日のとんねるずも加わり、“壊す笑い”ならではのハプニングの連続による学園祭的なノリが毎回繰り広げられた。それは、すでに進んでいたフジテレビ主導によるテレビのお祭り化が深夜にも及んだことを意味していた。
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