40年の歴史「タモリ倶楽部」終了が意味するもの オタク文化に繋がる趣味の教養化と知的笑い

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また「いいとも!」との兼ね合いのなかで、タモリというタレントの本質的な部分を確保しておきたいという事情もあったかもしれない。1982年は、テレビにおいて本格的に「フジテレビの時代」が始まった年である。1980年以降漫才ブームの勢いのままにバラエティ路線を突き進んだフジテレビは、この年いわゆる「視聴率三冠王」を達成し、以後12年間その座を守り続けることになる。

そのなかでの「いいとも!」MC就任には、タモリにとって諸刃の剣という面があった。当時のタモリには、怪しげな「密室芸人」というイメージがまだ強かった。そんなタモリがお昼の帯番組のMCに就任することはタレントとしてメジャーになる一歩であったものの、タモリならではのひと癖もふた癖もある毒の魅力が薄れてしまうという危惧もあった。

その点、「タモリ倶楽部」は対抗的にバランスを取るうえで格好の番組だったと言える。お昼と深夜という対照的な時間帯で、テレビ局も異なる。それによって「フジテレビの時代」におけるテレビの明るいお祭り化の波から、おのずと一定の距離を取ることができる。「タモリ倶楽部」のスタートは、タモリ自身にとっても、もう一つそんなメリットがあった。

「趣味の教養化」をもたらした 

では、「タモリ倶楽部」は深夜番組の歴史になにをもたらしたのだろうか?

深夜番組の源流をたどると、日本テレビ系「11PM」に行き着く。1965年にスタートしたこの深夜ワイドショーには、二つの柱があった。「お色気」と「趣味」である。まず想定する視聴者がサラリーマンなど大人の男性だったことから、「お色気」が番組の柱になった。時に女性のヌードも登場するのは深夜ならではのことだったが、そうしたお色気重視路線は世間から「低俗」との批判を受けながらも、深夜番組の定番になっていく。

もう一つの柱の「趣味」でも、扱われたのは釣りやゴルフ、麻雀など大人の男性向けのものだった。こうした趣味がテレビでじっくり扱われるのは画期的なことで、メイン司会者の大橋巨泉はそれらすべてに精通しているという強みを生かし、人気タレントの地位を確立する。

これらの要素は「タモリ倶楽部」にも受け継がれた。踊る女性のお尻がアップになる有名なオープニング映像はあるものの、お色気に関しては印象が薄いかもしれない。ただかつてはお色気絡みの企画もそれなりに多かった。例えばタモリと評論家・編集者の山田五郎が女性のお尻を“品評”する「今週の五ツ星り」というコーナーもそのなかに入るだろう。

とはいえこの企画の力点は、お色気よりはむしろ美術史の知見などをもとにお尻についての蘊蓄を傾けるところにあった。つまり、「趣味の教養化」である。そのように趣味の世界を深掘りするスタイルは、深夜番組の共有財産になっていく。むろんその原点は「11PM」であったが、それをある種の教養として大真面目に楽しむところに「タモリ倶楽部」の新しさがあった。

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