40年の歴史「タモリ倶楽部」終了が意味するもの オタク文化に繋がる趣味の教養化と知的笑い

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「タモリ倶楽部」は一時代を築いた(写真:時事通信)
「タモリ倶楽部」が約40年の歴史のなかで開拓・追求してきたのは、今日のオタク文化に繋がる「趣味の教養化」、そして「知的笑い」であった。その受け皿としての番組を失うことは、テレビ文化そのものの衰退に繋がるかもしれない。それほどまでに「タモリ倶楽部」は特別な番組だった。

最後まで「現役感」があった

『GALAC』2023年6月号の特集は「放送批評の60年 タモリ倶楽部、永遠なれ」。本記事は同特集からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)

2023年3月31日深夜の放送をもって、テレビ朝日の長寿バラエティ番組「タモリ倶楽部」が最終回を迎えた(関東地区ほか)。だが当初、放送40年という節目を機に終了するという報道になんとなく違和感を覚えた人もいたのではないだろうか? 

というのも、「タモリ倶楽部」という番組には、最後まで「現役感」があったからである。ここで「現役感」というのは、「タモリ倶楽部」という番組が現在の深夜番組、ひいてはバラエティ番組における一つのスタンダードになっていて、それを自ら体現し続けていたという意味である。脱力感溢れるマイペースぶりながら、よく毎回こんなことを思いつくなという意表を突いた挑戦的な企画で楽しませてくれる。そんな番組としての若々しさがあった。

では、「タモリ倶楽部」の具体的な特徴や魅力、そして長続きの理由はどのあたりにあったのか?「タモリ倶楽部」の足跡を改めて振り返りながら考えてみたい。

「タモリ倶楽部」が深夜だった理由

「タモリ倶楽部」初回の放送は1982年10月9日。ほぼ同時に平日昼の帯バラエティ番組であるフジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」(以下「いいとも!」と表記)も始まった。

「タモリ倶楽部」誕生の経緯は、次のようなものだった。テレビ朝日で1981年にスタートした「夕刊タモリこちらデス」(「夕刊」という漢字を分解すると「タモリ」になる)という夕方6時台の番組があった。ニュース番組のパロディで、しかも直前に筑紫哲也がキャスターを務める報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」が放送されていた。本家とパロディを連続で放送するという大胆な番組編成である。

だが、結局番組は編成上の都合もあってわずか1年で終わることになる。そのことを申しわけなく思った当時のプロデューサーが、タモリに「しばらく深夜で遊んでいてくれないか」と考えて企画したのが「タモリ倶楽部」であった(『デイリー新潮』2022年12月19日付記事)。

この経緯を見る限り、「タモリ倶楽部」はタモリにとっていわば仮住まいにすぎなかった。しかし結果的に、40年余り続く長寿番組になる。そこにはまず、「深夜で遊ぶ」というコンセプトが見事にはまったことがあるだろう。どんな状況でも、誰とでも楽しくやれる“遊びの達人”であるタモリにとって、隠れ家的な深夜はうってつけの居場所だった。

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