「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路 言葉が「減っていく」ことは何を意味するのか

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ニュースピークの基本原理は、言葉を徹底的に刈り込んで最小化することです。たとえば、作中でニュースピークの辞書を作っている真理省調査局の担当者は、「bad」という言葉は不要だと指摘しています。理由は「good」に否定の「un」を付けて「ungood(よくない)」と言えばいいから。同様に「excellent」も「amazing」も不要です。「plusgood」「doubleplusgood」と言えばいい。

「自由という言葉」がなくなれば「自由という概念」もなくなる。そうなると民主化を求めるデモや大衆運動も起こりえない。究極の全体主義は、監視や洗脳ではなく言語によって完成する――。オーウェルはべつに未来を予言したかったわけではありません。ただ、元ジャーナリストの作家として、こう忠告したかったのでしょう。

言語と思考は、じつは同じもの。つまり表裏一体であって、「言葉を大切にしないと何も考えられなくなるよ」と。

SNSで使われている言葉の大問題

さて、ここで現代のSNSに目を移せば、膨大なユーザーの書き込みで埋め尽くされています。パッと見たところ自由で豊かな言語空間のように感じます。

ところが、実際に1つひとつ見ていくと、内容や表現のバリエーションは意外に乏しいのです。商品やサービスの評価は「神」か「ヤバい」か。ニュースのコメント欄も一見すると「議論」に見えるものの、実際のところバズワードをみんなでぐるぐる回しているだけだったりする。

幸いにして、現代にビッグ・ブラザーはいません。少なくとも日本では、インターネット上に明らかな情報統制や検閲、監視システムはなく、表現や思想の自由があります。にもかかわらず、私たちは自ら進んで言葉を刈り込み、思考の範囲を縮小する道を選んでいるように見える。ある意味で『1984年』より恐ろしい状況です。

それでも、ネットニュースやSNSのトレンドと無関係に生きていくのは難しい。そのため一日中、インターネットばかり見ている。これではじっくり何かを読みながら考えたり、街を歩き回って見聞を広めたりする時間はありません。先日も「書き手として、こんなことでいいのでしょうか」と相談されたのですが、いいわけがない。

ネット空間で受信と発信を繰り返しているだけでは、言葉が貧困になり、思考も衰退する――。情報社会で遭難しないためにも、私たちは「ちゃんと読む」習慣を身につける必要があるのです。

ここで、「言葉を扱う力」を伸ばしたいなら、ブログやSNSを「書く」ほうがいいんじゃないの? と思う人もいるかもしれません。もちろん書くのはいいことです。言語能力が鍛えられるのは間違いない。ただ、毎日の習慣にするのはハードルが高すぎるのでは? というのが私の意見です。

すみずみまで神経の行き届いた文章を書くのはひじょうに骨が折れるし、だからといって手抜きではトレーニングにならない。また本気を出すには、題材も「書くに値すること」である必要がある。そんなものを毎日のように見つけられるのか。

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