「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路 言葉が「減っていく」ことは何を意味するのか
というわけで、「××でランチを食べた」とSNSに投稿したり、月に何回か「△へ行った話」といったブログを書くより、毎日コツコツと「ちゃんと読む」ことを習慣化したほうが、効果が望めるのです。
また「書く力」は、読むことで養えます。アウトプットの土台に「読む」があり、表現に優れた人はちゃんと読む習慣を持っているーー。ライター志望者向けのセミナーで講師をやっていると、このことを痛感します。
たとえば、受講生の中にはライター志望ではない人がちらほらいる。「書くスキルを業務に役立てたい」と考えている会社員などです。
彼らは発信したいわけではないから、ブログやSNSもやっていなければ、文章を書いた経験もほぼありません。ところが、そういう人に限ってライター志望者より味わいのある文章を書くのですね。で、少し話してみると、その人から私も聞いたことがないような書き手の名前がポンポン出てくる。つまり、腕の立つ読み手は「いい書き手」の予備軍なのです。
読む人のほうが仕事ができる
仕事においても、ちゃんと読む人のほうがデキる印象です。私の業界でいうと、メジャーな雑誌で活躍しているライターや全国紙でコラムを書いているような記者は、ネット上のトレンドに限らず、幅広くいろんなものを読んでいます。しかもただの情報通ではなく、しっかり腹に入れて自分のものにしている。私もたまに取材やインタビューを受けるのですが、雑談ひとつでも引き込まれて、つい話に熱中してしまいます。
組織を率いる人にも同じことが言えそうです。土曜日の『日経新聞』には、トップが愛読書を語る「リーダーの本棚」という連載が載っています。それを見ていてよく思うのは、やはり「やり手」は読んでいるなあ、ということ。
普段から経済誌のインタビュー記事などで「この社長はちょっと違うな」「この人は何か持っていそう」といった感じで名前をチェックしていた人物は、だいたいバックボーンに独特の読書遍歴があります。愛読書リストの中に、有名な歴史小説だけじゃなく大学時代の恩師に勧められたアカデミックな文献が紛れ込んでいたりする。「ああ、どうりで」と膝を打つわけです。
つまり、「書く」前に「読む」が大切なのです。
何かを書いたり話したりするためのもっとも基本的なトレーニングは「ちゃんと読む」ことであって、書かなくても土台は固められる。
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