一例を挙げれば、当時のわが国の市外電話料金は異常に高いものでした。世界的な水準から見ても、何十倍というレベルの高額な価格が維持されており、それはひとえに競争相手が不在の一社独占体制が原因となっていました。
「高いなあ」と利用者が不満を覚えても、ほかに選択肢はありませんから、公社が決めた唯一の料金に従って電話を使わざるを得ない。いまでは考えられないことですが、当時はその「不健全さ」が当たり前だったのです。
また、当時を知る人ならご記憶にあると思いますが、家に(固定)電話を一台引くだけでも、やはり高い保証金をとられるなど、国営企業が市場を支配することの弊害か、特に弊害とも意識されずにまかり通っていました。
そんなゆがんだ状態を突き崩して、お客様本位のサービスを実現するには、官業である公社の民営化が前提条件であることはいうまでもありません。
ライバル会社の存在が必要だった理由
しかし、公社の硬直的な体質や組織メカニズムを内部で熟知していた私には、たんに公社がNTTへと民営化されるだけでは、おそらく一社君臨の支配体制はそのままもちこされて、お客様の利便性やサービスの向上には役に立たないであろうことも、料金もけっして安くはならないことも、明白であるように思えました。
公社の体質改善や民営化は不可欠ですが、そこからさらに一歩踏み込んで、公社に対抗しうる、純粋な民間資本の競争会社が必要ではないかと思うようになっていました。
「公平で健全な競争の実現のために、どうしてもライバル会社の存在が必要になる」
それは当時としては時代にさきがけた、ちょっと進みすぎた考えでしたが、私はその考えを公社の中でも臆せず公言するようになっていきました。
あたかも天動説全盛の時代に、一人地動説を唱えるようなものです。周囲から異端者や反乱者呼ばわりされるのも無理はなく、理解者もいなくて当然だったかもしれません。
しかし、そんな状況だったからこそ自分でも制御できないほど内圧が高まって、私は公社を辞める一年半くらい前から、「新しい会社をつくりたい、つくらなければならない」という独り言を口ぐせのようにつぶやくのが習慣となっていました。
ほかに誰も手を上げないのなら、私自身が率先して会社をつくるべきだ。それが「(世界を)見てきた者の義務」ではないか。そんなふうにも考えるようになったのです。
いまでいうベンチャースピリットやアントレプレナーシップ(起業家精神)が私のなかで生きもののようにうごめき出していました。
(第2回に続く、4月18日配信予定)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら