「他人頼みの国が危ない」君主論が説く普遍の鉄則 逆境になれば防御力に欠け、何事も運任せになる
つまり、傭兵軍がより危険になるのは彼らが無気力なときであり、外国の援軍においては、彼らが有能なときである。
したがって、賢明な君主は、外国の援軍にも傭兵隊にも頼らずに自国の軍隊を置こうとする。他国の兵力を借りて手にした勝利など真の勝利ではないと考え、第三者の力で勝つぐらいなら独力で負けることを望むのだ。
不都合の解決を先送りするな
私の結論はこうだ。
自国軍を持たない君主国は、どこであれ安泰ではない。逆境ともなれば、自らを防衛する力に欠けるので何ごとも運任せになる。「自らの力を基盤にしていない権力者の名声ほど、もろく当てにならないものはない」とは、古来、賢人が語ってきた言葉だ。
他者に頼る場合には、必ずといっていいほど弊害が生まれて何も達成できない。反対に、自分の力を発揮した場合には、危機に陥ることはめったにない。だからこそ、武装している予言者は勝利を収めたが、そうでない予言者は滅びた。
名君たるもの、目の前の紛争だけでなく将来に備えて万全の対策をとっておかなければならない。医者もよくこう言うではないか。「初期段階の肺病は発見は難しいが、見つかれば治療はやさしい。ところが、遅くなればなるほど、簡単に発見できるが、治療は難しくなる」。
国を治める場合にも同じことが起きる。
ローマ人は、早くから不都合なことを見つけて、すぐに対応策を講じ、「争いを避けたいがために事態を放置しておく」などということはけっしてしなかった。そもそも争いは避けられるものではない。先送りにすれば敵に有利になるだけだとわかっていた。
だからこそ、彼らはフィリッポスやアンティオコスに対してギリシアで戦いをしかけ、イタリアでは戦わないですむようにした。現代の賢者たちがよく口にする「時が熟すのを待ち続ける」というやり方を好まず、自信の力量と思慮深さに懸けたのである。なぜなら、時とともに、よきことだけでなく悪しきことも運ばれてきてしまうのだから。
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