例えば、会社の役員会議で自分たちのプロジェクトのプレゼンを行うような場合、そのプレゼンに向けて、さまざまな資料を集め、整理することになるだろう。同窓会の会報などに、いまの仕事の専門分野についてのテーマで寄稿するよう依頼されたような場合も同様だ。
いくら知っていることといっても、きちんとした文章にするとなると、関連の最新データを集めるなど、さまざまな情報を収集することになる。そして、文章にしていったり、プレゼンのパワポをつくったりしていくうちに、その新しい情報が自然に自分の知識として定着する。問題集から始めて知識を整理しながら身につけていく勉強法と同じだ。
まず、アウトプットという目的があって、それに向けてインプットしていく。すると、最初から整理された状態で、効率よく情報を収集できる。
さらに、質問など反響があると、それに対して、また調べて答えるなど、アウトプットすること自体が、情報収集の機会となるのである。
これまでの知識から新しいことを生み出そう
『思考の整理学』の外山滋比古氏と対談する機会を得たことがあるのだが、その際に、外山氏は、歳をとったら、もう勉強なんかしなくてもいい、と言っておられた。ここで言う「勉強」とは、インプットのこと。すなわち、いくつになっても入力にばかりこだわるからダメなのであって、出力をしたほうがいい、とおっしゃっているのだ。
実際、外山氏は、週に2、3回、比較的知的な高齢の仲間を集めて、互いにいろいろなことを言う会を設けているらしい。
おそらく、歳をとってもこれまでの知識をうまく使えていない人が新たなことを学ぶより、これまでの知識からどんなものを生み出していくかを考えたほうがいいだろうということだ。
同様のことは、ハインツ・コフートという精神分析学者にもいえて、彼は晩年、ほとんど自分の専門の本を読まなくなったそうだ。ミスター・サイコアナリシスとも言われるほどの物知りで、精神分析のありとあらゆる文献を読んでいる人だったのが、50歳を過ぎるくらいから、精神分析関係の本を読まなくなったということで知られている。
むしろコフート氏は晩年、精神分析の本よりは、彼にとっては異分野である哲学書だとか政治学の本を読み、自分の精神分析の知識なり思索を応用できるようにすることに専心したのだ。
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