和田秀樹「50歳以降こそSNSをすべき」と言うワケ 覚えられない人は「アウトプット」が足りない

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では、何のために、勉強しているのか?

おそらくは、1つは、自分はこんなことを知っているという自己満足だろう。

知る喜び。わかる喜び。知らなかったことを知る喜び、わからなかったことをわかるようになる喜びは大きい。でも、子どもでも、自分が知ったことは一生懸命、ねえねえ、と周りに知らせようとする。知る喜びと同時に、外に知らせる喜びを味わってもいいのではないかと思う。

たしかに、例えば飲み屋で、池上彰さんが言っていたことを「これってこうなんだぜ」などと話していると、「それって、今朝、テレビでやってたやつじゃないか」と冷笑されるかもしれない。しかし、それを10年毎日続けるとなると、話は別だ。「あの、物知りに聞いてみよう」ということになる。

つまり、アウトプットすることによって、社会で一定の居場所を得ることができる。そして、それは、わたしたちが秘かに、何より望んでいることのはずだ。

アウトプットすることで記憶が定着する

学んだことをアウトプットすることには、もう1つ大きな恩恵がある。それは、アウトプットすることによって、記憶が定着するということだ。

これは、例えば世界史などの受験勉強で、カードなどをつくって覚えるよりも、実際に問題集をやりながら、試験に出る形で覚えていったほうが効率よく覚えられるという事実と共通する。

さらには、覚えたてのことを、実際に口に出したり、文章に引用したりして、「使う」ことで、それがいわば反復練習の復習となって、記憶が定着する。

アウトプットが、記憶そのもののトレーニングとなるのだ。

ついでにいうと、アウトプットすることでふつうの人が忘れてしまうようなことを覚えていると物知りに見える。池上彰さんが言った話をそのまま翌日に言っても受け売りの扱いを受けるだろうが、1年後であれば、「よくお前、そんなこと知っているな」という話になることがあるだろう。

また、アウトプットすることを目的にインプットしていると、最初から情報を整理して記憶することになるから、いっそうインプットの効率も上がる。

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