カシオ、「Gショック」の立役者に渡されるバトン 1957年の会社設立以来、樫尾家以外から初の選任

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カシオ計算機の社長交代会見
都内のカシオ本社で行われた社長交代会見。樫尾和宏社長(左)からバトンを引き継ぐのは、Gショックの初号機開発に携わった増田裕一氏(右)(記者撮影)

60年を超える会社の歴史の中で、創業家以外で初となる社長が誕生する。

カシオ計算機(以下、カシオ)は2月27日、増田裕一専務執行役員が4月1日付で社長に昇格する人事を発表した。樫尾和宏社長は代表取締役会長となる。

これまで、カシオは典型的な同族経営企業として創業家が社長を務めてきた。創業者は樫尾忠雄、俊雄、和雄、幸雄の樫尾四兄弟。幸雄氏が「全員合わせて一人前だ」と評したように、兄弟が優れた技術や才覚を持ち寄って会社を発展させてきた。

カシオの設立は1957年。初代社長は四兄弟の父親が務めたが、1960年からは長男の忠雄氏が社長に。1988年から2015年までは三男の和雄氏が3代目社長となり、電卓や時計のニーズを見抜きカシオ製品の販売を世界規模に拡大した。ほかの兄弟は技術やマネジメントで経営を支えた。2015年に後を継いだ和宏社長は、和雄氏の長男だ。

カシオにおいて創業家は、今なお尊敬の対象となっている。しかし2世世代になると、ほかの従業員との距離も縮まっていた。樫尾家の株式保有比率は10%にも満たず、株主としての影響力もさほど強くない。

Gショック初号機を開発

後任となる増田氏は和宏社長より11歳年上の68歳だが、「腹筋、背筋、スクワットを毎朝100回こなす」(増田氏)と会見でアピールしており、体力面の不安はなさそう。何よりも、腕時計の「Gショック」をビジネスとして成長させた実績が強みだ。「和宏社長はまだ若いので交代には驚いたが、増田さんなら納得だ」と、競合他社の社員も話す。

「Gショック」の製品群
アナログ時計タイプ、メタルケースなど多様な製品を展開する「Gショック」(撮影:尾形文繁)

1978年の入社以来、増田氏は時計の開発・企画を専門としてきた。1983年に発売されたGショックの初号機では、プロジェクトのリーダーとして開発に携わった。耐衝撃性に優れたGショックは、精密機器として丁重に扱うものだった時計の概念を覆した。

増田氏が時計事業部長に就任したのは2009年4月。俳優のキアヌ・リーブスが大ヒット映画作品内で着用したことをきっかけに起きたGショックブームは、1990年代のことですでに過去のものだった。だが、就任初年度の2009年度に780億円だった時計事業の売上高は、2015年度には1700億円超へと急激に伸びた。

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