片瀬さんは、「進学しか選択肢がなかったし、周りも普通に浪人していたから」とすぐさま浪人を決断します。しかし、どこの予備校にも退学した高校の友達がいることに耐えられず、親の反対を押し切って東京に引っ越しました。
「無理やり東京に出てきたので、親の生活支援を受けず、アルバイトをしながら代々木ゼミナールに通いました」
また、1浪目からはアイドル活動も本格的にはじめ、グラビアでも少しずつ人気が出はじめたと言います。平日は月に半分パン屋さんで朝7時から12時までアルバイトをして、20時ごろまで予備校に通い6時間程度の勉強をする一方で、土日はグラビアの撮影会を朝から晩までやっていました。
慌ただしく1浪目が過ぎ去りましたが、現役のときと比較しても大きく成績は伸びませんでした。結局、前期・後期の両方で受験した千葉大学に加え、滑り止めで何校か受けたGMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)も学習院大学の補欠合格が繰り上がらず、全落ちが確定しました。
「千葉大の後期に落ちた瞬間、目の前が真っ暗になりました。あまりにも精神的に参ってしまったので、房総半島を電車で一周するという奇行をおかしたくらいです」
アイドル活動をあきらめたくない
しかし、絶望の中でも片瀬さんは2浪を決断します。その理由には、自身の根幹であるアイドル活動がありました。
「親に全落ちしたことを伝えたとき、『国立大学に入らないともう芸能活動をやらせない』と言われたんです。アイドルをやめるくらいなら、2浪してでも国立大学へ行くと決めました」
国立大学でないとダメだというのは、芸能活動でうまくいかなかったときに、名前の通っている国立大を卒業していることで、将来の選択肢が増える、という親心もあったようです。
人生でいちばん大事な時期にアイドル活動を続ける片瀬さんに、「どうして1年休むことができないのか?」と懐疑的な見方をする人もいるかもしれません。
しかし、目まぐるしく勢力図が入れ替わるこの世界で長期間活動を休止することは、夢への階段を一歩一歩上っていた彼女には考えられなかったのです。
「当時、地下アイドルの中では、すでに成功していた部類でした。『新宿ReNY』という場所のライブで300人ほどお客さんが来てくださっていましたし、春には私のためにアイドルグループを立ち上げてくださる話をいただいたんです。だから今、手が届きかけているものを自分から離すと一生後悔すると思いました。勉強と同様、アイドル活動も人生でいちばん踏ん張らなければならない時期だったのです」
こうして片瀬さんは、勉強とアイドルを両立して2浪をするという決断をしました。
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