「妹もベッドをのぞかれたりしたらしいんですけど、母にはやっぱり『そんなことするわけないじゃん、もうおじさんだよ』と言われた、と言っていました。それからは、私と妹と母の間では、タブーな話。言ったら母がすごい不機嫌になるから。
たぶん、母はわかってた
たぶん母は、わかってはいるんだと思います。私と妹の2人が何度も被害に遭っていて、『寝ぼけた』なんて、あるわけがない。でもそれを一向に認めようとしない。たぶん認めちゃったら、そのままではいられないから。家庭をぶち壊したかったわけじゃない。ただ信じて、味方になってほしかった」
ミツキさんが継父の虐待から逃れたのは、高校を卒業し、家を離れたときでした。通っていたのは県内有数の進学校で、就職したのは彼女一人。高校の学費すら出してもらえず3年間バイト詰めだったので、進学しても同様になることがわかっていたからです。
「早く家を出たかったし、家に残していく妹を経済的に支援したかったのもありました。私は高校時代、美味しいものを食べに行く友人たちを尻目にバイトに走る、みたいな感じだったので、妹には同じ苦労をなるべくかけたくないと思って」
就職したものの、最初の職場は辛い環境でした。周囲の同世代が苦手で、上司からのパワハラも日常だったため、3年ほどで退職することに。
そこで以前から付き合っていたパートナーと暮らし始めたところ、ようやく安心したからでしょうか、ミツキさんは心のバランスを崩してしまいます。泣いたり、わめいたり、食器を割ったりと手が付けられない状態に陥り、彼の勧めで精神科にかかったところ、「複雑性PTSD」の診断を受けました。継続的な虐待などによって引き起こされる、心的外傷後ストレス障害です。
「彼は仕事を休んでも病院の治療に立ち会ってくれる。『一人で大丈夫』と言っても、『これは約束だから』って。だから、虐待サバイバーで苦労している人のなかでは、私は恵まれているほうなんだろうと思います。彼は宗教二世なので、お互い家庭のことでは苦労していて。だから、どこか雰囲気が似ている」
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