再婚は、母親の妊娠がきっかけでした。ミツキさんは以後、男性を「お父さん」と呼ぶように言われます。この頃からすでに母親は、自分や妹より「生まれてくる弟」を優先していたと感じていました。
「母親は、私の実の父親のことを『今でも殺したいほど憎い』と言っていて。そんな相手の子(自分)と、これから一緒になろうって人の子どもだったら、私でもちょっと(前者である自分を)『邪魔くさい』って思うかもしれない。言ってしまえば、私や妹は、母の『黒歴史』なんですよね」
母の再婚後、ミツキさんは家事や育児に追われるようになりました。弟や妹が3人生まれ、食事の支度を手伝ったり、泣いている赤ん坊をあやしたり、おむつを取り替えたり。友達と遊びに行くことは滅多になく、継父は裕福だったのにDSも買ってくれず、お風呂に入れてもらえるのも3日に一度程度。学校では、いじめの対象でした。
継父と母親は、地元でよく思われていなかったようです。授業参観の際、誰かのお母さんから「ミツキちゃん大丈夫?」と聞かれたことや、同級生から「ミツキちゃんのおうちは変だから、遊んじゃダメってママが言ってた」と言われたこともあったといいます。
「生きてちゃいけない」と思わされた理由
「連れ子」だから、という十字架もつねに背負わされていました。母親はいつもミツキさんに、「血がつながらないのにお金を出してもらっているんだから(継父に)感謝しなさい」と言っていたのです。
「血のつながらない子がいるとわかったうえで『結婚する』と決めたのはA(継父)自身。それでどうして、私たちが感謝しなくちゃいけないの? って今は思います。でもあの頃は、何をするにも『私は連れ子だから』と思って、問題を起こさないようにしていました」
同様の思いを抱えている子どもは、おそらく少なくないでしょう。再婚家庭の子どもたちは、継父にお金を出してもらっていることに負い目を抱かされながら、同時に「この状況を選んだのは自分ではなく、再婚した親なのに」と、理不尽な思いを抱えていることがよくあります。
継父による虐待は、それは酷いものでした。弟が歩き出した頃、ミツキさんと妹が軽くちょっかいをかけて遊んでいたところ、いじめていると決めつけた継父が怒鳴って追いかけてきたことは忘れられません。
「担ぎ上げられて頭から床に叩き落とされて。一瞬のことだったけど、近づいて見えた床とか、落ちる瞬間は覚えている。そのあと妹も床に叩き落とされて、吐いて病院に行ったんですけど、(継父は)お医者さんに『階段から落ちたんです』ってうそをついた。でも言えなかったですよね。言ったら(継父が)捕まっちゃうかもしれない。私たちはいいけど、弟はどうなるんだろう、というのがあったので」
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