戦国武将が「粗食」で戦い続けられたワケ 信長・秀吉・家康の強さの秘密は"みそ"にある

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
一見「粗食」だが、コメとみそ汁は理想的な「完全食」だという(写真:kaka / Imasia)
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。戦国大名を代表するこの3人は、いずれも現在の愛知県の生まれである。信長、秀吉は尾張、家康は三河の生まれだ。
 そして、この地域は、赤みそ文化圏なのである。それだけでない。江戸時代の大名の7割は愛知県、つまり赤みそ文化圏にゆかりがあるのだ。
 実は、戦国武将たちの強さの秘密はみそにあるという。どういうことなのか、新刊『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』を上梓した稲垣栄洋氏に解説していただいた。

 

戦国の世から江戸時代における、植物と武士の知られざる関係を描いた、これまでにない驚きの日本史!

名古屋の名物料理といえば、みそカツにみそ煮込みうどんである。これらに使われているのは、独特の赤い豆みそだ。赤みそは尾張名古屋の名産となっている。

だが、元はと言えば、赤みそは尾張名古屋ではなく、三河で誕生した。三河は徳川家康のふるさとであり、勇猛果敢な三河武士たちを育てた地である。赤みそは、この三河武士のソウルフードなのだ。

みそはもともと、飛鳥時代に中国から伝えられた。当時のみそは、大豆と塩と水だけで作る豆みそであった。

時代が経つと、大豆の発酵を早めるために、米こうじや麦こうじが加えられるようになる。あるいは、大豆を蒸して作る赤みそに対し、大豆をゆでて作るまろやかな白みそが考案された。

しかし、三河では一貫して赤みそが作り続けられた。

大豆はやせた土地でもよく育つ。それにはワケがある。大豆の根には、大気から窒素を取り込む根粒菌が共生している。だから、窒素分の少ないやせた土地でも成長することができるのだ。

次ページ強豪たちを育てた赤みそ文化圏
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事