一見、人間関係も良好で、多くの人がうらやむような楽しい学生生活を送っていたように思えます。
しかし、一方で、部活に関しては「何度も挫折を味わった」とまみさんは語ります。
「中学・高校とバスケットボールを続けていましたが、怪我続きでした。中学2年生の秋に右膝の靭帯を切ってしまいました。1年間リハビリをしてようやく元に戻せたのですが、今度は高校3年生の4月に反対の左脚の靭帯を切ってしまったのです」
よりにもよって、部活の集大成である最終学年で起きてしまった悲劇。「不完全燃焼でした」と自身の部活人生を歯がゆく振り返ります。
それでも「受験勉強の参考書を持って入院し、勉強しながらリハビリしていました」と語るように、この怪我が大きく受験勉強への意識を変えたきっかけであったと言います。
「高校2年生の時、推薦で希望する関関同立(※関西の難関私立大学群 関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)に進学できるくらいの評定はあったのですが、ずっと親に人生のレールを敷いてもらって生きてきて、『このままでいいんかな』と思ったんです。だから受験だけは1回、自分の力で頑張りたいと思うようになったんです。その思いは靭帯を切ってから、もっと強くなりました」
3年生の秋に第1志望校を設定し直す
こうして関西の難関大学4校である関関同立に目標を設定し、河合塾に通い、受験に向け勉強に力を入れたまみさん。最初は関西大学社会学部を目標にしていましたが、3年生の秋ごろに同志社大学を第1志望に設定し直します。
「同級生が推薦で同志社大学に行くことを知り、劣等感を抱きそうだった」という理由もあるそうですが、年頃の女の子らしい悩みも大きかったそうです。
「塾の同じクラスにかっこいい男の子がいて、その子がチラチラ目に入るようになったんです。ずっと女子校に行っていたから、異性に対する免疫がなくて見ているだけだったんですけど(笑)。その子が同志社を受験すると聞いて、自分も行こう!と志望を変えました」
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