トルストイの『戦争と平和』は19世紀を代表する名作だといわれる。なぜか。その理由は、19世紀の戦争が平和の延長線上にあることを描いた作品だからだ。戦争と平和という2つの言葉はけっして相対立するものではなく、平和は戦争によって作り上げられているという近代世界の皮肉な逆説を、トルストイが長大なロマンスの中で描いているからだ。
トルストイはこの作品の発想を、フランスの思想家ピエール=ジョゼフ・プルードンの作品、その名も『戦争と平和』(1861年)に負っている。彼はブリュッセルに亡命中のプルードンに会い、そこからこの小説のタイトルを思いついたのだ。この小説にピエールという、プルードンを思わせる主人公も登場する。
プルードンの『戦争と平和』
プルードンの『戦争と平和』は今ではほとんど読まれることのない作品だが、とても重要な意味を持つ作品だ。プルードンはこの作品の中で戦争を特別のものだと考えることをやめ、戦争は平和と表裏一体のものだということを明らかにした。
プルードンは、文明をここまで発展させたのは戦争だという。戦争があってこそ人類はここまで発展してきたのだ。19世紀の西欧をつくりあげている文明とは国家と教会のことであるが、彼によると、これらはその根源にある、他人のものを所有したいという所有欲から発生しているという。だから所有欲が存在する以上、そこに戦争はつねに正当なものとして出現する。
したがって、近代国家の侵略の権利は近代の神聖な権利だという。だからこそどの国家もこの権利を正当な権利だと主張し、戦争は日々行われることになる。そして平和はその代償として戦争によってもたらされるというのだ。
考えてみると、19世紀以降の西欧資本主義の国家の歴史は、日々戦争の歴史であったといってもいい。プルードンは「国家はつねに戦争状態にある」とさえ述べる。
もちろんプルードンは戦争を礼賛しているのではない。その逆だ。戦争を理性的なものとし、それを正当化する国家の論理、それは所有欲の原理であるが、これらを批判しようというのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら