「がん治療も妊娠もあきらめない」先端医療を取材 がん患者3人が出産、まだ研究段階で課題も

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日本では2021年度から「小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業」がスタートした。鈴木さんはこの研究班の責任者でもある。

「妊孕性温存療法のエビデンスを確立すると同時に、患者さんの経済的負担を軽減することを目的としています。がん治療だけでもかなりの費用がかかりますし、妊孕性温存療法は凍結が行われるため保険適用外でしたから、国と自治体による助成が行われることになったのは素晴らしいことです」(鈴木さん)

助成の対象は、卵子凍結、胚(受精卵)凍結、卵巣組織凍結、卵巣組織再移植、精子凍結、精巣内精子凍結、凍結保存の更新、妊娠のための治療などで、助成金額は自治体によって異なる 。

未来への希望につながる卵巣組織凍結

現在、卵巣組織凍結を行っているのは、ほとんどが小児・思春期のがん患者だ。

「以前、採卵するには月経周期に合わせる時間が必要でした。現在では技術が進歩し、月経周期に関係なく採卵開始が可能になったため、卵巣組織凍結の主な対象は子どものがん患者さんです」(鈴木さん)

たとえ妊孕性温存療法が可能だとしても、がんの診断を受けて治療が始まるまでにたいていは時間の余裕がなく、多大な不安を感じるなかで「将来、子どもが欲しいかどうか」を考えて意思決定をするのは非常に難しい。まして小中高大学生などは、ますます困難をきわめるだろう。わかりやすい動画を見せるなどしながら説明をするが、保護者が判断することも多いという。

「患者さんやご家族に対して、がん治療医と生殖の専門医が密に連携をとって、がん治療による妊孕性の低下や喪失の可能性に関して適切なタイミングで、正確な説明を行い、妊孕性温存に関する的確な意思決定支援をすることが大切になります。さらには妊孕性温存ができなかった患者さんへの心理・社会的ケアも非常に重要です」(鈴木さん)

小児に対する卵巣組織凍結がどれだけ出産につながるのかは、まだ世界でも例が少なくわかっていない部分が多い。ただ、海外では、5歳で赤血球の形が鎌状になり貧血などの症状が起こる「鎌状赤血球症」と診断され、13歳で卵巣組織凍結をして治療を経て、20代で移植し、移植の5カ月後に月経再開、2年後に自然妊娠して出産した症例はあるという。

また、子どものがんには白血病が多い。9割が寛解するほど治療成績は上がっているが、造血幹細胞移植の際には全身の放射線照射や卵巣への毒性の強いアルキル化剤を使うため、ほとんどが閉経してしまう。そこで卵巣細胞凍結・移植に期待を寄せたいところだが、白血病はがん細胞が卵巣に入り込みやすく、凍結保存していた卵巣組織を移植すると、がん細胞を再移入してしまうリスクが高い。

「欧州造血細胞移植学会は、2017年に白血病細胞が骨髄で5%以下になれば、卵巣でも減っているだろうから、卵巣組織凍結をしてもいいのではないかという声明を出しています」(鈴木さん)

日本でも、世界でも、たくさんの白血病の子が卵巣組織凍結を行っている。その卵巣組織は、その子たちが大人になった頃には、がんを取り除いて安全に移植する技術が確立されているかもしれない。

「すべての妊娠・出産は奇跡です。よく“誰もが奇跡的に生まれてきた“と言われますよね。それは本当にそうなんです。そもそも妊娠・出産は決して簡単なことではなく、そのうえでの妊孕性温存療法ですから、多大な期待は禁物だと思います。それでも、がん治療において、未来に希望を持つことは非常に大切です」(鈴木さん)

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聖マリアンナ医科大学産婦人科・主任教授
鈴木直

1965年、アメリカ生まれ。聖マリアンナ医科大学産婦人科・主任教授、日本がん・生殖医療学会理事長。1990年に慶應義塾大学医学部を卒業後、アメリカ留学を経て、2005年より聖マリアンナ医科大学産婦人科学講座に所属。専門は、婦人科腫瘍学。小児、AYA世代のがん患者の妊孕性温存療法に取り組み、厚生労働行政推進調査事業費による「小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業」の研究責任者を務める。2023年から国際妊孕性温存学会(ISFP)のアジア初の理事長に就任。
大西 まお 編集者・ライター

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おおにし まお / Mao Onishi

出版社にて雑誌・PR誌・書籍の編集をしたのち、独立。現在は、WEB記事のライティングおよび編集、書籍の編集をしている。主な編集担当書は、森戸やすみ 著『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』、宋美玄 著『産婦人科医ママの妊娠・出産パーフェクトBOOK』、名取宏 著『「ニセ医学」に騙されないために』など。特に子育て、教育、医療、エッセイなどの分野に関心がある。

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