平安時代の「オタク女子」夢叶えた姿が“ヤバい"訳 紫式部「源氏物語」にあこがれた女の驚く熱量

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<本文>
はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳のうちにうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五巻をとく習へ」といふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ける心、まづいとはかなくあさまし。

<意訳>今まで中途半端に読んでいたから、全体のあらすじもよくわかってなかった『源氏物語』。それを最初の巻から、1人きりで几帳の中で寝転がって読んで。読み終わったら、櫃から次の巻を取り出して、続きを読めるときの嬉しさ……。もう、たとえ今ここで「あなたが皇后になってください」って言われてもどうでもいいって思うくらい、幸せだった!

私は、昼間は一日中、夜は起きられる限り、灯火を近くにともして『源氏物語』を読んだ。読む以外のことはしない生活を送った。

すると、だんだん物語の文章を覚えてくる。こんなことできるんだ、すごいな~と思った。
その時見た夢の中で、黄色い袈裟を着た美形のお坊さんに「『法華経』の第5巻をはやく習いなさい」と言われたこともあったけど。私は法華経なんて目もくれず、夢のことも誰にも言わず、物語にばかり夢中になった。

「私、今はそんなに可愛くないけど、年ごろになったら美人になって、髪もすっごく長くなるはず。そして光源氏の愛した夕顔や、薫に愛された浮舟みたいにきっとなる」

そんなことを考えていた当時の私って、いったい……。アホなのかな?

前田愛という研究者が『近代読者の成立』(初版1973年、岩波書店)で「明治以前の読者がものを読むときは、朗読して、家族みんなで読むのが普通だった」ということを書いているのだが、『更級日記』を読むかぎり、一般的な読み方はともかく、菅原孝標女のように「1人で物語に耽溺することに喜びを覚える」タイプの読者もたしかに存在していたんだろう……と確信を持てる。

「1人で昼夜問わずベッドの中で好きな物語全巻を読む」、これ以上の幸せはない、と彼女は言い切っている。

皇后に選ばれるよりも物語を読むほうがいい

どれくらい言い切っているかというと、「后の位も何にかはせむ」(=后の地位もどうでもいいくらい)の心地だったという。つまりは、「今、皇后に選ばれたとしても、どうでもいいと思うくらい、ベッドの中で1人、物語を読むのが幸せすぎる」と述べているのだ。

天皇の妻の位といえば、当時の貴族の女性たちにとっては最高ランクの名誉であることはいうまでもない。さらに彼女が読んでいるのは『源氏物語』。まさに天皇の妻の地位をめぐる物語だ。

その地位を望む女性がどれだけいるかをわかっていて、それでもなおベッドのなかで物語を読むほうがいいと言うのである。これぞオタク……と私は『更級日記』のこの文章を読むたび、作者と握手したくなってしまう。

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