をばなる人の田舎より上りたる所にわたいたれば、「いとうつくしう、生ひなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、かへるに、「何をかたてまつらむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくしたまふなる物をたてまつらむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一ふくろとり入れて、得てかへる心地のうれしさぞいみじきや。
※以下、原文はすべて『新編 日本古典文学全集26・和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』(犬養廉ほか訳注、小学館、1994年)
<意訳>ある日、地方から都へやってきた叔母の家に、母が連れていってくれた。
「あらあ、大きくなったわねえ! べっぴんさんになったこと」
と、叔母は久しぶりに会った私をかわいがってくれた。そして帰り際、叔母は言ったのだ。
「お土産に何をあげようかなと思って。日用品もつまんないし、あなたが欲しがっていると聞いたものをあげるわ」
なんと叔母は、『源氏物語』の全50余帖を櫃に入れてくれたのだ! さらに『在中将』『とほぎみ』『せり河』『しらら』『あさうづ』などの物語も、袋に詰めてくれた。それをもらって帰るときの嬉しさったら……やばすぎた!!
なんと叔母が『源氏物語』全巻セット(※箱入り)をプレゼントしてくれたという。祈った甲斐があったというものだ。やはり「なんとしても私はこれを読む」というオタクの執念が引き寄せたのではないだろうか。そして叔母におそらく「『源氏物語』持ってない?」と聞いてくれた母もいい仕事をする。菅原孝標女、よかったね……!
平安時代のオタクも「ヤバい」と熱狂していた
ちなみに最後の文で「得てかへる心地のうれしさぞいみじきや」と書かれてあるが、「いみじ」とは古語で「(プラスの方向でもマイナスの方向でも)程度が大きいこと」を指す形容詞だ。つまりは現代語の「ヤバい」と同じ意味なのである。
現代語でも「ヤバい」って「(ポジティブなときもネガティブなときも)程度が大きい」ことを指す言葉ですよね。「いみじ」と「ヤバい」がほぼ同じ意味であることを考えると、「言語って一度すたれても、再びはやるものなのだな……」と妙に感心してしまう。
現代のオタクが「ヤバい」と叫んでいたように、平安時代の菅原孝標女も『源氏物語』全巻をゲットして「いみじ」と叫んでいたのかと思うと、なんだかうれしくなるのは私だけだろうか。
さて、菅原孝標女は念願の『源氏物語』全巻を手に入れ、昼夜問わず読む生活を送るようになった。『源氏物語』全巻読もうと思ったら、そりゃ長いし昼夜逆転するよな……と納得してしまう。
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