「足りない部分」に人の心が介在する
以前通っていたデザイン学校では、世界的なインテリアデザイナーによる、「日本のデザインとは何か?」という講義がありました。そこで先生は、「日本のデザインとは“弱さ”と“今”をデザインするものである」と教えてくれました。
“弱さ”とは強さの大局にある概念ではなく、「儚さ、脆さ、微細性」といった、日本の美意識を表すものです。日本の茶道から生まれたとされる、「わび、さび」の概念も、「侘しい、寂しい」といった、何かが足りない状態に美を見出したものです。陶器でも、何かが欠けているからこそ余白が生まれ、そこに人の心が介在します。
20世紀は、“弱さ”を克服し、強い社会に向かった時代でした。経済優先、合理主義的効率化という資本主義社会の思想を土台に、欧米流のグローバリズムが浸透し、物質的な完璧さや絶対的な正解を求めていました。人もモノもサービスも、完璧でなければいけない。それを追い求めた結果、生きづらい世の中になったと感じる人も多いと思います。
人間は強い生き物ではありません。気まぐれで、傷つきやすく、脆いものです。むしろ人は、自分の弱さを認め、それを補うために仲間と助け合うための能力に優れています。
ホモサピエンスよりもネアンデルタール人のほうが、身体能力も頭脳も優秀だったといわれます。それなのになぜ、ホモサピエンスだけが生き残ることができたのか。
ホモサピエンスは一夫多妻ではないことや、身内での争いを好まなかったといった理由もありますが、2本の足で立ち、両手を使えることが大きかったそうです。作物を両手に持って、仲間のもとへ運ぶことができた。つまり、助け合うことができたわけです。
私たちは、集団で力を合わせることで困難を乗り越えてきた。何かを他人に与えることによって、自分自身も多くを得ることができる。これが人間の本質なのだと思います。
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