ひろびろとあれたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、おほきにおそろしげなるみやま木どものやうにて、みやこの内とも見えぬ所のさまなり。
ありもつかず、いみじうもの騒がしけれども、いつしかと思しことなれば、「物語もとめて見せよ、見せよ」と、母をせむれば、三条の宮に、親族なる人の衛門の命婦とてさぶらひるたづねて、文遣りたれば、めづらしがりて、よろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたき冊子ども、硯のはこの蓋に入れておこせたり。
うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬみやこのほとりに、たれかは物語もとめ見する人のあらむ。
※以下、原文はすべて『新編 日本古典文学全集26・和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』(犬養廉ほか訳注、小学館、1994年)
<意訳>引っ越した先の自宅は……閑散として、荒れていた。庭の樹々は、いままで通ってきた山にも負けず劣らず鬱蒼としている。ていうか木が大きくて恐ろしい。まるで山奥の木だ。ここが都会の家だなんて、うそでしょ!?
そして引っ越し直後のばたばたしているタイミングだったけど、私はどうしても頼んでおきたいことがあった。それは、
「都会に来たんだから、物語ってやつを取り寄せてよお! 読みたいよ! 読みたいよ!!」
――物語を母にせがむことだった。そう、私は都会に来たらどうしてもはやく物語が読みたかったのだ。
母は、三条の宮の御所に仕えていた親戚の、衛門の命婦という方に手紙を出してくれた。その方は、私たち家族が都に来たのねと喜んでくれた。そして「三条の宮様のものをおさがりであげるわ」と、なんとも見事な冊子たちを硯箱の蓋に入れ、贈ってくださったのだ!
私はあまりの喜びに胸がいっぱいになった。夜も昼もなく、四六時中、物語を読みふけった。そして思った。ああ、もっとほかの物語も読んでみたい……。
でも引っ越し早々、こんな都の端で、物語を探してきてくれる人なんていないのであった。はあ。
どうにかして物語を読みたい
引っ越し先の「都会の自宅」があんまりきれいじゃないことにがっかりしたのも束の間。彼女にはミッションがあった。それは都会で物語を手に入れることだ。
「物語もとめて見せよ、見せよ」と原文に書いてあるのだが、「見せよ」が2回も繰り返されているところに彼女の情熱がうかがえる。どうにかして物語を読みたい、そのために来たのだ、といわんばかりの物語への熱量。ちゃんと母は親戚を頼って物語を手に入れてくれるのだった。
このあたりの描写を見ると、「おお、平安時代ってこういうふうに物語が広まっていたのか……」と新鮮に面白く感じてしまう。
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