これは私自身の経験でもあるのですが、1つ大きくマインドを変えてほしいのは、文章というものの持つイメージです。
小学校の作文だったり、国語教育の呪縛だったりするのだと思うのですが、どうも文章を高尚なもの、特別なもののように捉えている印象があるのです。
だから、立派な文章を書こうとしてしまったり、気の利いた言葉を探そうとしてしまったりする。実は文章は読み手こそ大事なのに、書き手ばかりに目が向いてしまう。もちろん、小説家の文章はすばらしいですが、あれは正直、芸術の領域だと私は思っています。
ありがたいことに、私はたくさんの作家に取材していますが、彼らは神様から遣わされてきた人、というのが私の印象です。
天賦の才があるのです。一般の人にマネができるものではない。マネをしたとしても、それはそれでおかしいでしょう。
文章はコミュニケーションの道具
とくに、仕事の文章、ビジネス文書ということになると、何よりも大事になるのは、読み手がしっかり理解できることです。どんなに立派な文章、美しい文章を書いても、読み手が理解できなければ、ビジネスの世界では意味がないからです。
文章をおとしめるわけではありませんが、文章とはもっと肩の力を抜いてつきあったほうがいいと私は思っています。それこそ、私がよく言っているのは、文章もコミュニケーションの道具の1つにすぎない、ということです。
コミュニケーションといえば、しゃべることが最もわかりやすいですが、それと同じ。しゃべるのも、文章で伝えるのも、コミュニケーションのツール。大事なことは、相手に伝わるという目的です。ツールそのものが目的になっては本末転倒なのです。
そして、文章を書く、というとき、多くの人が真っ先に頭に浮かべてしまうのが、「どう書くか」です。まさに20代前半の私がそうだったのですが、どうやって書くか、ばかりに意識が向かい、苦しみ抜くことになってしまったわけです。
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