戦争、分断、格差…「力」の前に「正義」は無力なのか コロンビア大学名物授業に学ぶ政治哲学の意味
プラトン著『国家』はそのリーディングリストの先頭に立つ。理由はすでに述べた。プラトンの次に来るのが弟子アリストテレスだ。アリストテレスはさまざまな学問に通じ、それぞれに業績を残した「万学の祖」。授業では、政治哲学分野での彼の主著『ニコマコス倫理学』『政治学』を学ぶ。
プラトンとアリストテレス。この師弟が西洋哲学の双璧だ。2人を読んだことなく“西洋哲学”は語れない。もしそうした人がいたら、疑いなく“似非論者”だ。
「プーチン×ゼレンスキー論争」を考える
『「正義論」講義』では、プラトン・アリストテレスを皮切りに、コロンビア大学の“contemporary civilization”(現代文明論)にリスティングされる世界名著の数々を紹介し、「正義」という切り口で吟味している。
話を戻す。「ソクラテス×トラシュマコス論争」に絡めて昨今の世界情勢で考えてみると、次のようなことが言える。
「ウクライナとロシアの紛争は、地政学の話としてのみならず、あるいはそれ以上に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらが発した国家のリーダーの立場にある人たちの哲学的な問題を浮きぼりにしている」
ロシア・ウクライナ紛争は、現代版の「ソクラテス×トラシュマコス論争」と言える。「プーチン×ゼレンスキー論争」は、政治哲学の大命題が問われる“ケーススタディ”なのだ。
その昔、全ギリシャ・
同じ問いが私たちの眼前にリアルに迫る。
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