失われた30年、復活せぬ日本企業と米国の決定的差 問題にするのを避けてきた不振の最大原因とは?
半世紀前にさかのぼる日米の競争の歴史を、私は「世界の事業革新のメガトレンド」と呼んでいる。
日本は1960年代からの30年間で、繊維→白物家電→テレビ→特殊鋼→鉄鋼→自動車→そしてアメリカ人が絶対に負けないと豪語していた半導体分野にまで浸食していった。当時の勢いからすれば、今日の日本の半導体産業の悲惨な負け姿は何が起きたのか想像できない。1980年代後半、アメリカでは歴史上空前のリストラの嵐が吹き荒れた。
ところが1990年代に入ると、アメリカは急に元気を取り戻す。アメリカは黄金の1950年代をピークにして、30年間じわじわと凋落していったが、日本の繁栄は1991年前後がピークだった。その頂点から、突如として一気に谷底に落ちて、低迷した。
日本企業は多くの分野で世界競争から脱落し、国の財政も悪化したままになる。初めは失われた10年と言われたが、いまや失われた30年が経過した。日本とアメリカは戦後の60年間に、前半は「アメリカ>日本」、後半は「日本>アメリカ」と、30年間単位のシーソーゲームを演じたのだ。
1980年代から見えていた「組織劣化」
60年間のシーソーゲームの前半で、日本組織の「横並び精神」は1つの強みだった。当時、それは日本にとって戦略適合だった。しかし大組織の中で出る杭は打たれる。日本のリーダー行動はしばしば「突出」よりも「うまく収める」ことが重視される。そうなると組織のリスク志向は減退し、必然的に本人の経営的力量も上がらない。事業戦略は後追いになる。それが日本的組織の宿命だった。
私はバブル破綻後の1994年に『経営パワーの危機』を出版した。そこに描いた日本企業の「組織の劣化」「経営者人材の枯渇」の姿は、出版の10年前にすでに観察していたものである。バブル破綻に先立つ1980年代前半には、日本企業の組織活性低下の症状はすでに見えていたのだ。
メガトレンド後半30年間の長期停滞は長い。大学を出た人材が、50歳を過ぎるまで、投資や経費を抑制するように頭を叩かれ続け、その体質は後輩世代にも刷り込まれていった。多くの日本企業が長い期間その状態に支配され、企業の戦闘力は、毎年、少しずつ、明確に意識されないスピードで落ちてきたと思う。
だから、日本人はアメリカや中国に対抗して、攻めの戦略を追えといきなり言われても、すぐに頭も行動も切り替えられない。
日本の組織劣化という下向きの伏線は1980年代に動いていた。それはアメリカが強さ復活への出口をみつけようと新しい論理開発にのたうち回っていた1980年代と、完全に時期が重なる。2つの伏線は1990年前後に、もはや伏線ではなく、一気に表面化してきて交差した。メガトレンド後半30年間の大逆転が始まったのである。
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