家臣の家康への皮肉が書かれた「三河物語」の中身 「主君を裏切る者が出世している」と憤慨
本書でもっとも注目すべきは下巻の後半です。忠教は「子どもたちよ、よく聞け」の言葉に続けて、大久保家のこれまでの忠節、子孫たちが心掛けるべき振る舞いをつづっており、その教訓こそ『三河物語』の本分といえます。
とくに「主君を裏切る者や卑劣な行いをする者が出世し、主君に忠義を尽くす者や武勇を尽くす者は出世しない」というくだりは、自虐であるのと同時に、計算高い家臣や新参の外様が優遇され、歴戦・古参の譜代衆が不遇であると述べています。つまり、当時の徳川家に対する痛烈な皮肉です。
それでも忠教は、「飢え死にしたとしても主君を裏切るようなことをしてはならない」と、子孫たちに忠義を説きます。重要なのは、富でも命でもなく名誉であり、その思いは「人は一代、名は末代」の言葉に集約されているといえます。
恵まれない境遇の武士を勇気づける
多くの人たちが忠教からイメージするのは、やはり「天下のご意見番」としての姿でしょう。旗本が駕籠に乗って登城することを禁じた幕府への当てつけとして、大だらいに乗って登城し、相手が将軍であっても歯に衣着せぬ物言いをする。時代劇でおなじみのシーンです。
『三河物語』の忠教は、時には家康と激しい口論を交わしています。そうした逸話がご意見番としての忠教像を形成していきました。実録本の『大久保武蔵鐙(おおくぼむさしあぶみ)』では、一心太助という快男児のキャラクターも生み出され、2人の活躍を描いた歌舞伎や人形浄瑠璃、講談の演目は人気を博しました。
『三河物語』は印刷本としては刊行されず、写本のみで伝えられましたが、多くの武士が愛読していたと見られています。反骨精神あふれる貧乏旗本の忠教は、同じような境遇の武士を勇気づける存在だったのです。
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