さらにストレスだったのは、こうしたやり取りをCW以外の職員たちにも見られたことだという。タケアキさんは「3、4人の職員がCWの後ろでポケットに手を突っ込んだり、腕組みをしたりしながら机の上の書類や僕のことをのぞいていました」と振り返る。
タケアキさんが生活保護を利用するのは初めて。申請の前日は緊張のあまり一睡もできなかった。市役所に行く途中、嘔吐もしたという。生活保護利用者に対する社会の偏見や理不尽なバッシングを思えば、こうした“反応”もやむをえまい。
「精神的に弱っていて、窓口に行くだけでかなりエネルギーが必要でした。それなのにプライベートな話を聞かれているところを、ほかの市民や職員にもさらされて。(相談員のタメ口は)小バカにされていると感じました。同行者がいなければどうなっていたか……」
「派遣」しか仕事がなかった
タケアキさんは沖縄出身。5年ほど前、知人から仕事を紹介するからと声をかけられ、千葉に移り住んだ。故郷での生活に大きな不満はなかったが、もう少しだけ豊かな暮らしをしたいという夢を抱いたのだという。フォークリフトや大型トラックの運転免許なども持っており、いざとなれば何とかなるという自信もあった。しかし、いつまでたってもまともな仕事を紹介されることはなかった。たまに建物の解体作業に駆り出されてもただ働き同然。数年前に知人との縁を切った後は複数の派遣会社に登録して仕事を探した。
「本当は派遣じゃなくて普通に就職したかったですよ。でも、ネットで『フォークマン』『仕事』で検索しても、派遣しかないんです」
しかし、40社、50社と連絡をしても、求人情報どおりの仕事が得られることはまずなかった。面接に行くと「その仕事はもう埋まってしまいました」と言われるのだという。結局紹介されるのはより待遇の悪いものばかり。
1年余り勤めた会社もあったが、住民税を滞納していた沖縄の自治体から会社あてに給与差し押さえの連絡があったことで退職を余儀なくされた。上司から同僚らの面前で「お前、沖縄で何かやらかしたのか」と問い詰められたのだ。タケアキさんによると、自治体の担当者とは、生活に余裕がないので納付期限について相談をしていた最中のことだった。
「担当者と音信不通になったわけでもないのに。どうして行政は僕の足を引っ張るようなことをするのか……」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら