「ファミリア」が描く"日本で生きる移民"の現実 成島出監督に作品制作の経緯や背景を聞いた

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――今作はもちろん、お話に出た山本五十六が主人公の作品も、また不倫相手の子どもを誘拐した女性を通じて母性を描いた『八日目の蟬』(2011年)、在宅医療の現場を通じて現代の医療制度の問題点を描いた『いのちの停車場』(2021年)など社会的なテーマを数多く扱ってきました。

確かに、「社会的なテーマの作品を撮っていますね」とはよく言われます。でも、僕がいちばん好きな映画人であるチャップリンの『独裁者』(1940年)の最後の演説のシーンを思い出すと、恥ずかしくてそんなことは言えません。

チャップリンは、風刺、社会に対する先見性を喜劇と笑いと涙のエンターテインメントに昇華しています。そして彼の作品の根底には、過酷な生い立ちから来ているであろう「どうしようもない悲しみ」があるのです。そして、その悲しみが覚悟を生んでいると言っても過言ではない。

ヒトラーの独裁政治を批判した『独裁者』は、チャップリン自身による渾身の演説シーンの後、「Hannah, can you hear me?(ハンナ、聴こえるかい?)」と呼びかけます。ハンナは精神病で長い間、病床にあったチャップリンのお母さんのことです。

人間の尊厳や自由を説いたチャップリン

彼はヒトラーが全盛期のときに、世界中から批判を受けることを覚悟しながら、全身全霊を最愛の母親に捧げるように、人間の尊厳や自由を説くのです。

先輩の映画人たちはそうやって戦ってきたし、どこかで映画というのはそういうものだという意識があります。やはりその精神は受け継がなくてはならない。

映画を撮る以上は、社会と真剣に向き合うのは当然のことだと捉えていますし、これからもそうあり続けたいですね。

熊野 雅恵 ライター、行政書士

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くまの まさえ / Masae Kumano

ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員、阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍の企画・製作にも関わる。

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