「ファミリア」が描く"日本で生きる移民"の現実 成島出監督に作品制作の経緯や背景を聞いた
ただ、一方で、中国が習近平体制になり強硬路線を取っていたこともあって、「ひょっとしたら仲良しのこの人たちの国と戦争してしまうのだろうか」というようなことも頭をよぎり、複雑な思いがしていました。ちょうどその頃に出会ったのが、この作品のプロットでした。
――監督がプロットに出会った当時と今では世界情勢が変わったように感じます。
このプロットを初めて読んだ2018年頃は、タリバンによるアフガニスタンの陥落や、ロシアによるウクライナ侵攻の前だったので「世界の紛争は自分たちの住む地続きにある」ということを描いても、どこかで嘘のように感じてしまったかもしれません。
ところが、ここ数年であっという間にこの映画で描かれているテロや紛争がリアルに感じられる世界になってしまったというか・・・・・・。いいことではないのですが、現実が物語に追い付いてきたという気はしています。
「忘れない」ことの大切さ
――この物語を映像で描くにあたって意識したことはありましたか。
1つのキーワードとして「忘れない」ということは意識していました。劇中には家族や大切な人を亡くしてしまう人たちが登場しますが、その存在を忘れないことによって新しい人間として再生していく話なんです。
学の妻のナディアは難民キャンプで育っていますが、「お母さんの顔は忘れたけれども、あの歌だけは忘れない」と子守歌を歌います。そして、学はその歌を歌うナディアを愛して結婚し、学の父親である誠治の元に連れて来たという事実がとても大切です。
さらにナディアが歌っていた子守歌が誠治の耳に残ることによって、新たなドラマも生まれます。「(亡くなった母を想う)ナディアの魂が音として誠治に伝わっている」ということが、この映画が描きたい「忘れない」ということ、ドラマそのものなのです。
歌によって思いがつながれていく。そしてそれは大切な人の存在を忘れずに、その存在を受け継いでいくということです。
そういう意味では、あの歌はこの映画の象徴なのではないかと思っています。初期の段階から「忘れられない子守歌」という設定はありました。
――劇中にはラップグループも登場しますね。
GREEN KIDSという実在するラップグループが登場します。亡くなってしまったナディアのお母さんが歌っていた子守歌との対比で未来に向かっていく生命力のある歌があればいいと思っていました。
在日ブラジル人にはラップで自分の心情を訴えてメジャーになりたい、ビッグになりたいという夢を持つ若者が数多くいると聞いて、現地のラッパーの青年に相談していたところ、彼らに出会いました。
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