実は、幸雄が絹代の葬儀に出なかったのは、京子のせいではなかった。もちろん、絹代が亡くなったことを信じたくなかったということもあるが、最大の理由は、京都から東京までの交通費を工面できなかったことだ。
絹代の訃報を知らされたとき、幸雄は多額の借金を抱えていた。
今から三年前、それまで真面目に陶芸家を目指して修業してきた幸雄の元に、窯を開くなら融資するという話が舞い込んだ。自分の窯を持つことは、陶芸家にとって大きな夢である。当然、幸雄も将来は京都で自分の窯を持ちたいと願っていた。
融資すると言ってきたのは、幸雄の師匠の窯に出入りする卸業者で、京都では新しい会社であった。
幸雄は騙され、多額の借金を負った
東京を離れて、十七年。幸雄は、資金を貯めるために六畳の風呂なしアパートに居を構え、贅沢は一切せず、ただただ真面目に生きてきた。
そこには、絹代に早く陶芸家として活躍する自分を見てもらいたいという思いもあったに違いない。実際、幸雄も三十代後半という年齢に少しあせりを感じていた。幸雄は、話を持ちかけられると、足りない分を消費者金融から借り、それまで貯めていた資金とともに業者に預け、窯を開く準備に取りかかった。
だが、融資を持ちかけた業者は、幸雄から預かったお金を持って逃げてしまった。
幸雄は騙されたのだ。
かくして、幸雄に残ったのは窯ではなく、幸雄名義の多額の借金だけとなった。
金銭の苦しみは、人を精神的に追い詰めていく。
毎日、頭の中は返済のことでいっぱいになり、将来のことなど、何も考えられなくなる。
今、どうやってお金を工面するか? 明日、どうすれば工面できるか? そればかりになってしまう。
いっそ、死ねたら……。
何度も、そんな考えが頭をよぎったが、自分が死ねば、親である絹代のところに借金の取り立てが行くことになる。幸雄は、それだけは何としてでも避けたいと思い、必死に自殺を思いとどまっていた。
絹代の訃報を聞いたのは、一か月前、そんな渦中でのことだった。
幸雄の中で、張り詰めた緊張の糸がプツリと切れる音がした。
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