「関西人はベビーカステラが好き」を検証してみた 冬の「屋台名物」はどこが発祥の地なのか

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兵庫を中心にさまざまな呼び方がある理由はいくつかありそうだ。ベビーカステラは神社の祭りなどで売られることが多かったが、古志さんによると、当時から「それぞれの露店商に決まっている場所があり、既に販売されている同じ商品を新規で参入するのは難しかった」。

また、「炭火でカステラを焼く機械は鉄製で重量もあり、これをリヤカーなど手押し車で運べる範囲にも限りがあった」。こうして、それぞれの店が、それぞれのレシピで、地元密着型の商売をしてきたわけだ。

加島屋にある最古の焼き釜、通称「回機」。ズックと呼ばれる合金で作られているが、何の合金かは不明だという。おそらく100年以上前のモノ(写真:加島の玉子焼提供)

「ベビーカステラ」と名付けた店

その後、1954年に神戸界隈で出店していた三宝屋が「ベビーカステラ」と名付けた。同店の3代目、高瀬富久さんは「歴史から言うと、うちより加島さんや夢工房さんのほうが古いのではないでしょうか」と話す。

祖父がみようみまねでカステラ屋を初め、当初はカステラを焼く機械に鈴がついていたことから「ちんちん焼」という名前で売っていたが、高瀬さんの母親がベビーカステラと名付けたという。ここから徐々にベビーカステラという名前が世間に浸透していったようだ。

高瀬さんによると、三宝屋では祖父の時代にカステラを焼く機械を西宮の鉄工所に作ってもらっていたという。各地へ広まったのは、「三宝屋さんがカステラの機械を鉄工所で作らせて、作り方も含めてあちこちへ売り込んだ」からと加島繁治さん。古志さんも京都にベビーカステラを広めたのは三宝屋だと証言する。ただし、誰が最初にカステラの型を発明したかは不明だ。

その後、プロパンガスが普及したことで火力が安定したことに加え、機械の移動も楽になり、さらに広い範囲へ広がったとみられる。だが、繁治さんによると、「東京でベビーカステラが広がったのはここ30年ぐらい。戦前はなかった」。

1943年生まれで、阿佐ヶ谷で育った筆者の叔母は、「私が子どもの頃はなかった。50歳の息子の子どもの頃は屋台で見かけた」と話すが、大田区で育った48歳の女性も「子どもの頃に見た記憶はない」と言う。

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