「関西人はベビーカステラが好き」を検証してみた 冬の「屋台名物」はどこが発祥の地なのか

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つまり、東京に広がったのはここ30~40年のことかもしれない。夢工房の古志さんは、「東京のお祭りには、あんず飴など関西ではめずらしい屋台がある一方で、ベビーカステラはほとんど見たことがなかったので新規参入しやすかったのではないかと思う。利益率、客単価も高いので地代などを考慮しても利益を生み出しやすい商品だと思う」と話す。

3店の話をまとめると、ベビーカステラの発祥は100年以上前で、西宮周辺の可能性が高い。もしかすると西宮神社かもしれない。それが周辺地域に広がり、関西で定着した。

常設店舗が増えている背景

現在でも最も忙しいのは、「正月とえべっさん(兵庫区の柳原蛭子神社の十日えびす/1月10日前後の3日間)、厄神さん(多井畑厄除八幡宮の厄除け大祭/1月18~20日)。この時期で1年の3分の1の売り上げを上げていた」(繁治さん)。

が、そのうち、三宝屋以外は常設店を構えるように。「店を構えてからは、正月や近所の長田神社の祭りで行列ができる以外はそれほど忙しいわけではないです。でもここ10年、20年で他店も含めベビーカステラ自体がすごく売れるようになりました」(繁治さん)。

三宝屋は常設店こそないものの、スーパーの前に出店するなど出店範囲を広げている。「もともとお祭りでは人気のメジャー商品でしたが、コロナ禍になってからは、お祭りなどがなくなり、スーパーの前に出店したり、常設店を構えるところが増えたのではないでしょうか」と高瀬さんは見る。

今流行する常設店の最初は、加島の玉子焼かもしれない。ただ、1965年生まれの夫が小学生時代、大阪・東住吉の駒川商店街で冬はベビーカステラを売る常設店を見たと言っているので、もしかするとベビーカステラを売る常設店自体は、昭和時代に関西の商店街には存在していた可能性がある。

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