「すいません……いくらですか?」
五郎が伝票に手をのばす。このままだと五郎は支払いをすませ、出て行ってしまう事を二美子は知っていた。
「待って!」
「いいよ、これくらい」
「こんな事言うために来たんじゃないのよ」
「は?」
(行かないで)
「相談してほしかった」
「なんで相談してくれなかったの?」
(行ってほしくない)
「それは……」
「君が仕事の事大事にしてるの知ってる……別にアメリカに行くのはいいよ……反対もしない……」
(ずっと一緒にいられると思ってた)
「でも、せめて」
(そう思ってたのは、私だけだったの?)
「相談してほしかった……なんか、相談もなく勝手に行っちゃうなんて……」
(私はあなたを本気で)
「なんか、それってちょっと」
(愛していたのに)
「さみしいなって……」
「……」
「私の言いたかった事は……」
「……」
(今さらか……)
「それだけ」
現実が変わらないなら、正直に言ってしまえと二美子は思ったが、言えなかった。それを言ったら負けだと思った。仕事と私、どっちを取るの? そう言っているようで嫌だった。五郎に出会うまで仕事一筋に生きてきた二美子だから、それだけは言いたくなかった。三つ年下の彼氏にそんな女々しい事を言っている自分にもなりたくなかった。プライドもあった。仕事でも先を行かれた、そんな嫉妬もあったのかもしれない。だから、素直になれなかった。だが、何もかもがもう遅い。
「いいよ、行って……なんか、もういいや……どうせ、なに言っても君がアメリカに行っちゃう事は変わらないんだし……」
「……」
二美子はそう言うと、コーヒーを一気に飲みほした。
「ふう」
飲みほすと、またあのめまいにも似た、ゆらゆらとした揺らめきが二美子を包み込んだ。
(なにをしに来たんだろ?)
二美子がそう思った時だった。
「ずっと……」
五郎が一言つぶやいた。
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