「戻らせて、一週間前に!」
流は、平井が残した小銭を集めながら、テーブル席でつっぷす二美子をチラリと見た。だが、見ただけである。つっぷす女が何者であるか興味もないのだろう、集めた小銭を大きな手の上でジャラジャラともてあそんだ。
「兄貴……」
数が顔を出して流に声をかけた。数は流の事を「兄貴」と呼んではいるが、兄妹ではなく従兄妹である。
「ん?」
「お義姉さんが呼んでる」
流は店内を見渡すと「わかった」と答え、今、集めた小銭を数の手のひらに無造作に握らせた。
「高竹さん、すぐ来るって」
数の報告に流は無言でうなずき、
「店、頼むわ」
と、言って奥の部屋に消えていった。
「はーい」
返事はしたが、店内には小説を読む女と、テーブルにつっぷす二美子、房木と呼ばれた雑誌を広げて何やらメモを取る男しかいない。
数は手渡されたお金をレジにしまうと、平井の残したカップを片づけた。
店内に三つある古い柱時計の一つがボーンボーンと五回、低い音で鳴った。
「コーヒー……」
房木はコーヒーカップをあげて、カウンターの中の数に声をかけた。さっき頼んだはずのおかわりがまだだったのだ。
「あ……」
数はあわててキッチンに駆け込み、コーヒーの入った透明なガラス製のカラフェを持って出てきた。
「それでもいい」
しばらくテーブルにつっぷしていた二美子がつぶやいた。
数は房木にコーヒーのおかわりを注ぎながら二美子の姿を目の端で捉えた。
「それでもいいわ」
二美子がガバっと上体を起こし、
「変わらなくたっていい、このままでもいい」
と言うと、すっと立ち上がり、数の目と鼻の先までズカズカつめよった。
数はコーヒーカップを房木の前に静かに置きながら「あ、えっと」と眉をひそめながら一、二歩退いた。
二美子はさらに距離を詰めて、
「だから、戻らせて、一週間前に!」
何かが吹っ切れたように二美子の言葉には迷いがなかった。ただ単に、過去に戻るというチャンスに興奮しているだけなのかもしれない。鼻息が荒い。
「あ、でも」
数は二美子の剣幕に困惑しながら、ぐるりと二美子の脇をすり抜け、逃げるようにカウンターの中に戻り、
「もう一つ大事なルールが……」
と、言った。
二美子はその言葉を聞いて、眉をハの字にしながら「まだあるの!」と叫んだ。
この喫茶店を訪れた事のない人には会う事ができない。現実は変わらない。過去に戻れる席が決まっていて、そこからは動けない。で、制限時間がある。二美子は指折り数えてうんざりした。
「これが一番の問題かも……」
これらのルールだけでもうんざりしているのに、さらに「一番の問題」が出現し、二美子の心は折れそうになった。
しかし、二美子はぎゅっと唇を噛みしめて、
「こうなったらなんでもいいわ……言って……」
と、数に覚悟のほどをアピールするために腕組みをして、うんうんとうなずいてみせた。
数は「わかりました」という意味で小さなため息をつくと、持っていた透明なカラフェを片づけにキッチンに姿を消した。
一人残された二美子は、心を落ち着かせるために深呼吸をした。
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