規制緩和が打撃「仙台」タクシー、今も残る傷の深さ 2002年の構造改革がもたらした台数急増の苦悩

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仙台のタクシーは、この土地にしかない特徴も目立った。例えば多くの車体カラーが白色であるということ。ある老舗タクシー会社ドライバーは、「昔から白の車両が多いが、ビジネス客や学会で訪れる方が多い土地柄のため、黒塗り車を希望されることも珍しくない。ジャパンタクシーも含めて、導入を進めたいが金銭的に難しい部分もある」と漏らす。

タクシー乗り場も市内中心部に24カ所も点在し、繁華街の国分町あたりは荷さばきスペースも多く、乗降者のスムーズさも目についた。

中でも印象的だったのは、東日本大震災の被災地を周る「語り部タクシー」の存在だった。NPO法人宮城復興支援センターと宮城県タクシー協会などが協力のうえ、2012年10月から始まったこの企画は、被災地の復旧・復興、当時の記憶を風化させないという意味合いが込められている。

利用者は減っても後世のために残していく

前出の尾形さんによれば、2018年までは平均的に年間900件、3000人程度の利用者がいたという。しかし、2019年以降は減少傾向が続き、昨年は年間約65件、利用者ベースでは210人程度に留まっている。

尾形さんが続ける。

「被災時の復興現場を知る乗務員さんを語り部に認定しています。実際にお客様からもそういった方を指名されることが多かったので。担当する乗務員は仙台だけで2013年当時は200人程度いましたが、現在は140人ほど。利用者の数は減り、担当できるドライバーも減少していますが、参加いただいたみなさんは、想像していたよりも大きいこの地の傷痕に驚かれます。

そんな声を聞くたび、語り部タクシーは後世のために残していくことが必要だと感じますね。利用される人の数が減っても、今後も続けていく予定です」

規制緩和の影響を最も強く受けた仙台は、試行錯誤を重ねながら適正化のために尽力を続けている。ただそれでもなお、負の連鎖が色濃く残っていることを同時に感じるのだ。

栗田 シメイ ノンフィクションライター

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くりた しめい / Shimei Kurita

1987年生まれ。広告代理店勤務などを経てフリーランスに。スポーツや経済、事件、海外情勢などを幅広く取材する。『Number』『Sportiva』といった総合スポーツ誌、野球、サッカーなど専門誌のほか、各週刊誌、ビジネス誌を中心に寄稿。著書に『コロナ禍の生き抜く タクシー業界サバイバル』。『甲子園を目指せ! 進学校野球部の飽くなき挑戦』など、構成本も多数。南米・欧州・アジア・中東など世界30カ国以上で取材を重ねている。連絡はkurioka0829@gmail.comまで。

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