ひろゆきの「4chan」、日本人が知らない危険性 アメリカでは銃乱射と憎悪犯罪の温床に
トランプ支持者による2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件を調査している議会の委員会は、事件と関連のある個人の情報を引き渡すよう西村に要求。2022年10月にナンシー・ペロシ下院議長の夫を襲撃して起訴された男も、4ちゃんに頻繁に投稿していたと供述している。
この記事を書くために申し込んだインタビューは断られたものの、西村はこれまで自身のサイトについて、人々は言論の自由を行使できる場を求めており、自身はそうした需要を満たしているにすぎないと述べてきた。法律にはつねに従っており、投稿に関連して犯罪が疑われる場合には当局からの情報提供要請に応じてきたとも主張している。
損害賠償金の支払い命令を無視
西村が2ちゃんねるの運営を始めたのは1999年、アーカンソー中央大学の学生だった頃だ。2ちゃんねるは彼がふざけて作った掲示板であり、乱雑、混沌としていて、そして何より重要なことに匿名だった。
2000年5月には、2ちゃんねるはすでに悪名高い存在となっていた。あるユーザーが日本南部の高速バスについて謎めいたメッセージを書き込んだ後、そのバスを乗っ取って乗客3人を刺し、1人を死亡させたからだ。
この出来事は日本中をくぎ付けにし、2ちゃんねるには新規のユーザーが押し寄せた。西村はまもなく話題の人物となり、インターネットが受け入れられ始めたばかりの日本に対し、自身が趣味でつくった掲示板について悪びれることもなく、こう説明した。
僕らは理想郷に住んでいるわけではない――。西村は2002年、日本の雑誌『Flash』のインタビューで、何かが起こるに決まっていた、と述べた。
西村は2ちゃんねるからかなりの収益――その額は月当たり10万ドルほどになっていた――を得る一方で、費用の支払いを巧妙に逃れていた。西村自身の説明によると、彼は2ちゃんねるの問題書き込みを放置したとして100回以上訴えられたが、裁判所から命じられながらも、少なくとも100万ドルの損害賠償金の支払いを拒否した。賠償金を踏み倒しても刑事罰に問われないというのが、支払いを拒否した理由だったという。