32歳がんで逝った母親が双子娘に遺した生き様 告げられた病名はステージ4の「スキルス胃がん」

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病室は、新しい建物の9階にあった。小さな子どもが来ることを考えて、個室を選んでいた。広さは、15平方メートルくらい。トイレやシャワーのほか、冷蔵庫などを備えていて、追加の簡易ベッドでもう1人、寝泊まりすることができるようになっていた。

やがて、もっちゃん、こっちゃんがやってきた。みどりさんは、以前と変わらないにっこり顔で2人を迎えた。

痛みはまだ治まっていなかったが、がんばって笑顔をつくった。もっちゃん、こっちゃんも笑った。

新しい病院に移り、これからお世話になる医師とも顔合わせができた。少し、緊張が解けたところに、大好きな2人が現れ、笑顔を見せてくれた。

この2人の笑う顔をずっと見ていたい。そして、2人には心配をかけたくない。だから自分も笑顔になってがんばろう。こうめいさんには、みどりさんがそんな決意を示しているように見えた。

こうめいさんが2人に語ったこと

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こうめいさんは、病室のベッドに座る2人の目の前に行き、2人の目線と自分の顔の高さが同じになるように腰を落としたうえで、2人の背中に両腕を回し、みどりさんの転院について説明した。

「ママは病気をなおすために、がんばることを決めたんだ。だから、病院をうつることにしたんだよ。ただ、いままでよりも、病院はうちから遠くなる。だから、もっちゃん、こっちゃんに会うのはちょっと、難しくなるかもしれない。でも、ママはがんばるよ。だから、もっちゃん、こっちゃんもがんばろうね」

2人は、「うん、わかった」と言った。ただ、このときは、2人がどこまできちんと理解できているのか、こうめいさんはわからずにいた。初めての病院の個室に驚いただろうし、あわただしい一日の疲れもあって、ママのことをじっくり受け止める余裕は2人にはないように見えた。

次回記事:32歳「スキルス胃がん」の母親が娘に宛てた手紙

田村 建二 朝日新聞記者

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たむら けんじ / Kenji Tamura

1967年、神奈川県川崎市生まれ。1993年、朝日新聞社入社。福井支局、京都支局(いずれも現総局)を経て、東京科学部に所属。その後、名古屋社会部、大阪および東京の科学医療部、医療サイト「アピタル」編集長などを経て、2022年4月から東京くらし報道部に在籍。編集局編集委員。生殖医療、いわゆる生活習慣病、がん、遺伝子診療などの分野を担当し、新型コロナウイルス感染症の取材にも関わる。
Twitter @tamurak4

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