また、プライベートワールドであるがゆえに、他人からの評価や理解を期待するのは「そもそも論」としていけないのです。
SDさんは「趣味ですと、他人にいえるようなものがない」という悩みを持たれていますが、趣味とは他人に「それは趣味だ」などと認めてもらうものではなく、自分が「これが趣味だ」といえば誰がなんといおうとそれがご自身の趣味なのです。
ついでに申し上げると他人の趣味や趣向について「あれは理解できない」「馬鹿らしい」などというヒトがたまにいますが、趣味の性格を考えるとそんな発言は極めて無粋であるといわざるをえません。
SDさんから「飲酒」というキーワードが出ましたが、例えば飲むヒトは飲まないヒトに「人生の楽しみを持てず損している」とか言いますし、反対に飲まないヒトが「お金払ってまで身体を壊すようなことをして、理解できない」などといいますよね。
双方の立場に立てばどっちも正解ですし、仕事と違って立場の違いを超えて何かを共同で成し遂げるようなものではなく、あくまでも自分個人が信じることを、個人ベースでやればいいだけです。何も相手を批判することはないですし、(相手や周りに迷惑をかけるなどのことがない限りは)その権利も双方有さない、ということです。
「他人の評価を気にする必要はない」
ですから、まずSDさんには趣味を持つことの意味、つまり「やらなくてもいいのに、わざわざやるような価値があると自分が判断する対象」「極めて個人的なもの」「他人の評価なんかを意識する必要がない」ということをまずは認識していただきたいのです。
もっと簡単に言うと、他人の目を意識してやるようなことではなく、自分が楽しいと思うことをやればいいのです。
飲酒だって散歩だって、自分がそれでリラックスできたり、プライベートの時間がそれによって充実するのであれば、堂々とそれが「趣味です」と胸を張っていえばいいのです。
それでも「他人に語れるような対象を持ちたい」とかであれば、漠然とやる、またはルーチンとしてやるのではなく、その道を極めたり、具体的なテーマを持って臨む、といったことで、行動や対象にストーリー性を持たせる、という手もあります。
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