カルトの標的にされやすい人の「典型的な特徴」 ダブルバインドで心をがんじがらめに縛られる
しかし、カルトが被害者に植えつけようとする強迫観念は、その範疇を超えています。通常、不安というものは自発的に生まれる感情ですが、マインド・コントロールを仕掛けてきているカルトは、被害者の強迫観念になりそうな要素を見つけて、その度合いがよりいっそう強くなるように誘導してきます。
見つからない場合は、外から圧力をかけて人為的に植えつけていくのがお約束です。なにか悩み事はないかと聞いてきて、とくにないと答えると、悩みがないこと自体が人間としておかしいと返してくる―――そうやって、悩みがない人にわざわざ悩み事をつくっていきます。
さらに追い打ちをかけるように、心理的なテクニックを用いて、その悩みをもっと大きく感じるようにしていきます。そして最終的に、その悩みを解決するためには、この人に頼ればいい(教団に帰依すればいい)と信じて疑わないように手なずけていくのです。
カルトは、マインド・コントロールの過程で、「悩みの原因は霊に取りつかれているからだ」とか、「このままでは必ず病気なる」とか、根も葉もないことを吹き込み、さらに不安を煽っていきます。ここまできてしまったら、もうお手上げ。いつの間にか相手(ないしは教祖)に対する依存心が芽生え、「この人(教団)なしでは生きていけない」と思うようになってしまうのです。
「ダブルバインド」で心をがんじがらめに縛られる
もうひとつは、「ダブルバインド」による精神の呪縛です。直訳すると「二重の呪縛」。これは、マインド・コントロールが深まっていくと、他者からのはたらきかけのみならず、自分自身でも心をコントロールするようになってしまうことです。心の支配が二重になることにより、いちだんとマインド・コントロールが解きにくくなります。
例えば、「夜を徹して祈りなさい」と教祖から命令されたとしましょう。信者は基本的に従うしかありませんが、指示に反するようなことをふと考えてしまう瞬間もあると思います。「今日は疲れているし、寝ちゃだめかな」と。しかし、その刹那に恐怖心がこみ上げてきて、寝たいと思う心を抑えるようにセルフ・コントロールする力がはたらき、祈り続ける道を選択するのです。
これがまさにダブルバインドで、この状態に至ってしまうと、元に戻すことは容易ではありません。一般の人と日常会話はできますが、脱会を勧める説得等にはまったく耳を貸さなくなります。教祖以外の考えに耳を傾けることは罪だと教わっているので、黙りこんだり、平気で噓をついたりします。どんなに頑張ってマインド・コントロールを解こうとしても、暖簾に腕押し状態が続くことになるのです。
スポーツの世界では、セルフ・コントロールはパフォーマンスを高める効果があると、前向きに評価される傾向にありますが、カルトのマインド・コントロールの状況下となれば話は別。百害あって一利なしとでもいうべき、深刻極まりない現象とお考えください。
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