カルトの標的にされやすい人の「典型的な特徴」 ダブルバインドで心をがんじがらめに縛られる

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にもかかわらず、「恋愛は互いのマインド・コントロールなのだから、抜け出そうと思えば自由に抜け出せる」と、とんちんかんなことを訳知り顔で語るワイドショーのコメンテーターや、力の上下関係があることを無視して「マインド・コントロールではなく、正しくは〝共依存〟」などと、依存心の怖さをまったく理解できていないスピリチュアル・カウンセラーがいたりします。

彼らは、マインド・コントロールという現象、すなわちマインド・コントロール状態に置かれた人をじかに見たことがないから、このような誤った認識をしてしまっているのでしょう。

マインド・コントロールを正しく理解するためには、カルトが起こしている実態に、真剣に目を向けなければなりません。社会全体がその姿勢をとらない限り、マインド・コントロールによる被害はなくなっていかないのです。

細胞レベルまで植え付けられる強迫観念と依存心

では、なぜマインド・コントロールは解きづらいのか。最たる理由は、「強迫観念」と「依存心」を植えつけられてしまっているからです。心の奥底の、それこそ細胞レベルと表現してもいいくらい、体の隅々までにこれらが浸透しているため、脳がそこから抜け出そうとすることを拒むのです。

強迫観念は、マインド・コントロールを、「心理的委縮」でなく「行動原理」につなげるために、なくてはならないもの。だからカルトは徹底的に、被害者に「○○をしなければならない」という意識を持たせるように仕向けてきます。

私は強迫観念自体を全否定するつもりはありません。人がなにかしらの目標に向けて行動する際、ある程度は必要だと考えています。

「毎日少しずつでも勉強しないと試験に落ちてしまう」と危惧する受験生。「辛いと感じるレベルの練習をしなければ強豪相手に勝つことはできない」と自らに鞭を打つスポーツ選手。こうしたある種の不安は、人が行動を継続させるための原動力になります。努力の源のひとつと表現してもいいかもしれません。

「どうにかなるさ」と楽観的に構えていて本当にどうにかなることも時にはありますが、一方で、多少の強迫観念があったほうが、ものごとを成し遂げたり、成功したりする可能性が高まることもあります。強迫観念的な考えを、一概に不健全と決めつけることはできないでしょう。

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