不登校の中1息子を「許せない父」が変わった経緯 半年の長期出張で身に染みたこと

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「あのころは自分が不登校の親であることが恥ずかしかった」と話す松本雅彦さん
「あのころは自分が不登校の親であることが恥ずかしかった」。率直に過去を振り返る松本雅彦さん。ですが、あるきっかけから不登校の息子を受けいれることができたと言います。そのきっかけとは、自身の仕事でのつらさ。「キツイ仕事に行きたくない」という気持ちが、学校へ行けない息子さんに重なったのです。今は不登校支援に携わり「まつぼん」の愛称で親しまれる松本雅彦さんに、息子さんとの関係についてお話を聞きました(※写真は松本雅彦さん)。

自分が不登校の親であることが恥ずかしかった

――お子さんの不登校のいきさつからお聞かせください。

息子が不登校になったのは中1の7月からです。全校集会の途中でお腹が痛くなったことが始まりでした。学校から息子の具合がよくないと連絡があり、妻が迎えに行ってその日はそのまま病院の内科で診てもらいました。でも、どこも悪くないと言われて。

当初、私は「もともと活発な子だし、ちょっと体調を崩しただけだろう」とあまり重く考えてはいませんでした。その日は木曜日だったので、次の日休んで、土日もゆっくりすれば回復するだろうと思っていたんです。ところが月曜日になっても息子はお腹が痛いと言って学校へ行かず。この日から不調を訴えて行きしぶるようになりました。

私も妻もきびしく子育てしてきたため、最初は息子を無理矢理にでも学校へ行かせようとしました。学校は行かなきゃいけないものだと思っていましたし、一度学校へ行けたらまた以前のように毎日登校する生活に戻れるだろうと考えていたんです。でも息子は布団をかぶって一向に部屋から出てこようとしませんでした。なんとか行かせようといろんな方法を試しましたよ。力ずくで体を引きずったり、泣き落としを演じたり。

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