不登校の中1息子を「許せない父」が変わった経緯 半年の長期出張で身に染みたこと

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いざ行ってみると、不登校のイメージがますます変わりました。子どもが不登校だったという親の人や、不登校当事者だった人に出会って、「不登校でも大丈夫なんだ」と思えるようになったんです。そう思えた1番のきっかけは、かつて不登校だったという大学生が人前で臆せず自分の経験を話している姿を見たことでした。「本当に不登校だったのかな?」と思うくらいその学生は堂々としていたんです。息子が不登校になってからというもの、この先わが子の明るく元気な姿なんてもう見られないんじゃないかと思っていたので、その学生の生き生きとしたようすに希望を持ちました。うちの子もこんなふうになれるかもしれないと。結局私は、「不登校の先」を生きている人を知らなかったから偏見や不安を抱いていたんだと思います。

――その後、息子さんにはどう接するようになったのでしょうか?

息子が中2になってからは、いっさい登校刺激をしませんでした。また、学校へ行かない代わりに何かをするように指示したり、逆に学校へ行っていないから、これはしてはいけないと禁止ルールを設けたりすることもなかったです。妻といっしょに、とにかく息子にとってわが家が安心安全な場所になるように努めました。息子を自由にさせるようになったのは親の会でいろいろ学ばせてもらったからというのもありますが、私自身が息子の気持ちに寄り添えるようになったからでした。じつは私は出張中に、息子と同じような苦しみにぶつかったんです。息子が学校へ行きたくないように、私も仕事へ行きたくないと悩んでいました。

息子のつらさがやっとわかった

私は当時IT関係の仕事をしていました。20数年やってきた仕事だったのですが、出張時にもっともきつい業務を経験して、仕事へ行くのがイヤになってしまったんです。何かから逃げたいと強く思ったのは人生で初めてのことでした。ただ、仕事は学校と同じく行かなきゃいけないものと思っていましたし、任せられていることはやり遂げなければと葛藤して、夜眠れなくなったり朝起きられなくなったりしていました。

いっしょに仕事をしていた同僚にも疲れが出ていて、上司に「このままだとみんなつぶれてしまいます」と相談もしてみたのですが、上司はまともに取り合ってくれませんでした。このときの行き場のないつらい気持ちが、息子のようすを見ていると思い起こされて、がんばって学校へ行こうと声をかけるのは、ちがう気がしたんですね。疲れ切っている心身にムチを打って無理して行くのはすごくつらいことです。自分が経験したことで息子の気持ちがすこしわかって、息子を苦しめることはしたくないと思いました。

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