不登校の中1息子を「許せない父」が変わった経緯 半年の長期出張で身に染みたこと
といっても、息子が行きしぶるようになった翌週から私は長期出張で家を空けることになり、それ以降息子のことは妻に任せきりでした。出張中は毎朝妻からLINEで、今日は行けたかどうかの報告を受けていました。ときには息子も観念して学校へ行くことがあったようです。でも、半年経って私が出張から帰るころになっても、結局息子は「学校へ毎日行く生活」には戻りませんでした。むしろ状況は悪くなって、息子は私たち親を遠ざけるようになりました。自分の部屋に閉じこもって会話をしようとしないし、いっしょに食事を取ることもしなくなってしまったんです。
――まつぼんさんは当時、どのような気持ちでしたか?
とにかく不安でした。息子が不登校になった当初は私たち親が立ち直らせてあげられると考えていたのですが、何をやってもうまくいかなくて。このままでは息子は社会から外れて、まともな人生を送れないのではないかと心配でたまりませんでした。また私のなかには、「不登校の子どもを持つ親」とまわりに認識されるのが恥ずかしいという気持ちがありました。ただ視野が狭かっただけなのですが、学校へ行く以外の生き方を知らないために、学校は毎日行くもので、行かないのは怠惰だと考えていたんです。その考えで息子を見ていたので、怠けている子の親であると見られることを恥ずかしく思っていたんですね。
妻は親の会へ
一方で、妻は息子が不登校であることを職場で話していたようでした。仕事を途中で抜けて息子を学校へ送ることもあったので、職場の人にはよく相談をしていたみたいです。それでちょうど私が出張から帰ったころ、同僚から「不登校の親の会というものがあるみたいだよ」と聞き、妻はひとりで親の会へ参加するようになりました。
当時の私は正直言って、親の会にそんなに期待していませんでした。そこへ行って何が変わるんだろうと半信半疑で。だから妻といっしょに行く気がなかったんですよね。でも妻が通うようになってすぐ、「おや?」と思い始めたんですよ。というのも、妻は親の会へ行くと、すごく明るくなって帰ってくるんです(笑)。「不登校のことを話してきたはずなのに、なんで?」と不思議でした。
妻は親の会で聞いてきた話を、私に熱心に話してくれました。「学校へ行かない選択肢もある」ということや、「不登校がよくないと思っているのは親で、親が悪いと言うから悪いことになってしまう」という見方など、どれも私にはない新鮮な考えばかりでした。
しかも、妻はめちゃくちゃ明るく笑いながら親の会のことを話すんですよ(笑)。その姿を見て私は、「親の会ってすごいところなんだなぁ」と興味を持ちまして、自分も行ってみることにしました。